花びら
一緒の職場で働いているKさんからこんな話を聞いた。
「もし」
Kさんが、遊歩道を歩いているとふと後ろから声をかけられた。
「はい?」
Kさんがその声に振り向くとそこには着物を着た知らない
お婆さんが立っていて、ニコニコと微笑んでKさんを見ていた。
(迷ったのかしら?)
道を聞かれるのだろうかとKさんはそう思った。
「なんでしょう?」
「はい、これ。」
「?」
お婆さんは、そういって手を差し出して広げた。
(え、花びら?…さ、桜???)
道を聞かれるのだろうと予想していたKさんは突然、見せられたも
のに目を丸くした。
お婆さんがKさんに見せたものは鮮やかなピンク色がかった白い花
びらだった。
それは今、咲いて風に散ったかという感じで手のひらにのっている。
どこを見てもそれは桜の花びら。
「あなたの肩についていましたよ。」
Kさんは慌てて自分の体を点検した。
まだ春物には程遠い厚ぼったい冬のコートをKさんは、着ていたの
だ。
けれど自分で見てもそんなものはついてない。
そして、よく考えると今はまだ桜が咲かない時期。咲くとしても2、
3ヶ月後だ。
周囲の景色を見ても寒々として、立ち並ぶ桜の木には花はついてい
ない。
(そんなもの、どこで?)
Kさんは困惑した。
お婆さんはニコニコと微笑み、困惑するKさんの左手を広げ、
「これを貴女は覚えていてね。」
そういって花びらをのせた。Kさんはびっくりしながらもそれを凝
視した。
自分の手のひらにのった花びらは確かに桜の花びらだったし、普通
に咲いている花の様に瑞々しい。
「あのっ」
こんなものは知らないとKさんはお婆さんに視線を向けた。
「あれ?」
さっきまですぐ側にいたお婆さんがいない。
視線を外していたとはいえ、ものの数秒だ。Kさんは周囲を見渡し
てお婆さんを探した。けれど、いくら探してもその姿は見当たらな
い。
Kさんはその場で呆然と立ち竦んでいた。
その時は、狐につままれた感じがしたという。
しかし、手のひらにのった花びらは確かにKさんの元にあった。
そうしてその奇妙な出来事から2、3ヶ月後。
季節はすっかり春のそれ。気候も暖かくなっていた。
テレビのニュースでは桜前線が北上していると伝えた。
Kさんはある日、すっかり桜が満開になった公園を散歩していた。
時折、風に吹かれてはらはらと桜の花びらが舞い地面に落ちていく。
Kさんはそれを見て綺麗だなぁ、としみじみしていた。
そして。
「あれ、そういえば」
2、3ヶ月前と同じ遊歩道を歩いている時に、突然Kさんはあの日
のことを思い出した。
自分の歩いているこの場所で、あの奇妙なお婆さんに会ったのだ。
(あのお婆さんは一体、誰だったのかしら?)
Kさんは出会ったお婆さんの事もその桜の花びらの事も今、思い出す
まですっかり忘れていたし、お婆さんからもらったあの例の桜の花び
らも何処かへ失くしてしまった。
とりあえずKさんはそこから立ち去ろうと足を踏み出した。
「…あ、」
その時、強い春の風が吹いた。
Kさんは風に弄られる長い髪を片手で慌てて押さえる。
弄られる髪の間からはらはらと桜の花びらが沢山、散っていくのが見
えた。
(あぁ、せっかく綺麗に咲いているのに…)
はらはら、はらはら…
桜が舞い落ちては散っていく。
「!」
その時Kさんは大きく目を見開いた。
Kさんとは少し距離があるが、桜の並木に隠れてひっそりと桜の古木
が見えた。
Kさんみたいな素人目でも、その古木がとても年代のいった木だとわ
かる。
四方に広げた今にも枯れそうな枝には、ピンク色がかった白い桜の花
をつけていたが、その古木もまた風に弄られてその花びらを散らして
いた。
その散らし方はまさに『有終の美』を飾るが如く、潔い。
それを見た途端にKさんは直感した。
あのお婆さんはあの桜の古木だったのだと。
『これを貴女は覚えていてね』
あの時のお婆さんのあの言葉はそういう事だったのだ。
Kさんはその古木の前まで近づいて、地面に落ちたその古木の桜の花
びらを摘んで手にのせた。
その花びらは瑞々しく、確かにKさんが見たものと全く同じものだっ
た。
「あんな所に古木があったなんて思わなかった。ひっそりと隠れてい
るみたいにたっていたから。でもあの古木は、それでも最後に自分が
咲かせるその花を誰かに見届けて欲しかったんだわ。」
Kさんはそういった。
あの古木はもう寿命だったのか、それから後にKさんがそこに行って
みると古木がたっていたところには切り株だけが残っていた。
今でも桜の季節になるとその古木を思い出すという。
それはそれは儚くて綺麗だったそうだ。
fin