メタボ部長の憂鬱
取引先の営業マン、近藤の屈託のない電話の声がカンに障る。
‐‐‐またか!‐‐‐
私は田房明太郎、54歳。
たぶさ・あきたろうと読むのだが、誰もが「たぼう・めいたろう」と読み間違える。
そして、忌わしい、あのCMのお陰で、いつの間にか「メタボさん」か「メタボ部長」と呼ばれる様になってしまった。
36年前、久留米の工業高校を卒業した私は、スポーツ選手枠で、地元に主力工場のあるメイン・ビールに就職した。
身長165センチの小柄な私は、長距離ランナーとして、福岡県下ではそれなりに有名だった。
入社から5年程の間は、実業団マラソンや、駅伝等でチームに貢献し、工場内でもスター扱いされていたものだ。
特に女子社員の人気は高く、様々なアプローチを受けたものだ。
その内の一人は。今の妻だ。
しかし、24歳、結婚直後にアキレス腱を痛め、ランナーとしての寿命が終わると、周囲の扱いは一変。
総務課で、形ばかりの伝票処理しかしていなかった私は、いきなり営業に廻された。
ビール会社の営業‐‐‐それは、なかなか過酷だ。
各担当エリアの酒屋、飲食店を回り、メイン・ビールを注文して貰う様、頼んで歩くのが仕事。
当然、行く先々で接待もある。
新人同様の私が配属されたのは、九州最大の繁華街・中洲。
不安を抱えながら、酒屋やクラブ等を訪問すると、
「おっ!あんたマラソンの田房選手じゃないか!」
「ウチのお店でも、おなたを応援してたお客さん多かったわよ!」
「アンタが担当なら、メイン・ビールに切り替えるわ。さっ、座って一杯飲んで!」
等と歓待された。
マラソンはテレビや新聞で扱われることが多いので、自分でも信じられない位、私の顔は知られていたのだ。会社も良く考えた人事をするものだ。
というのは、中洲は、ライバルのアサヤケ・ビールに負けており、ここでの闘いには、どうしても勝たなければ、業績に大きく影響する。
私は頑張った。
愛想を振り撒き、沢山飲み、沢山食べた。
その甲斐あって、中洲の業績は急激に伸び、それと比例して私の腹部も急成長していった。
現在、私の肩書はメイン・ビール久留米事業部総務部専門部長。
この役職にも訳がある。
10年程前から、ビールはカロリーが高い、メタボリックシンドロームの元凶等と言われ、急激にビール業界全体の成長が鈍化し始めた。
そこで、ビール各社は、カロリーオフのビールを開発し、新たな市場開拓に挑戦する様になった。
我がメイン・ビールも、毎年、新しい商品を市場に投入、大量の広告宣伝費を使って、トップシェアを築こうと、必死にがんばった。
しかしながら、ライバルのユウヤケ・ビールに明確な差がつけられない、接戦状態が何年も続いていた。
今年のビール商戦。
絶対にユウヤケ・ビールに出来ないプロモーションを考えろ、と社長自らに言われた広告会社電電堂が出した、苦肉のアイデア。
「あの日に帰れるビール」
そう、かつてアスリートだった私の映像と、今の私とを繋ぎ合せ、中年太りに悩む同世代の共感を得る、という自虐的な戦略。
プレゼンを受けた社長は、「面白い!やれ!」と即決。
その後、「あの日に帰る部長さんのビール」とコンセプトに修正が加えられたため、次長だった私は、急遽、形ばかりの部長に任命された、という訳だ。
社命故、拒否も出来ずにCM撮影へ。
晒したくない腹を晒し、太り過ぎて走れないのに走らされる。
‐‐‐もう勘弁してくれ!‐‐‐
何度も心の中で叫んだものの、スケジュールは着々と進む。
キャンペーン初日。
日本中の街頭ビジョンのCM枠を3ヶ月間買い取った、画期的なプロモーションが始まった。
‐‐‐かつて、日本中を熱狂させたランナーがいた‐‐‐
全盛期の私のレースシーンの映像にナレーションが乗る。
‐‐‐あれから30年。彼もすっかりメタボになった‐‐‐
昔の映像にオーバーラップして、今の私が走ってる。まるで、カモシカがペンギンになったみたいだ。
‐‐‐栄光のあの日に帰りたい‐‐‐
いまの私の腹部のアップ!
‐‐‐あの日に帰る部長さんが選ぶ、メイン・ビール・ノンカロリー!衝撃発売!‐‐‐
新商品を飲む私に。再びオーバーラップがかけられ、50代のイケメン俳優が登場し、一言。
「もう、メタボ部長とは言わせない!」
何てCMだ!
失敗作だ!
私の心の祈りとは裏腹に、このCMは大反響。
新商品も出荷が間に合わない程の空前の売れ行きになった。
しかし‐‐‐。
どこに行っても、私は若干好奇の目で見られる様になってしまった。
‐‐‐あそこにいるの、メタボ部長じゃない?‐‐‐
‐‐‐意外に普通じゃん?‐‐‐
‐‐‐お腹見たいよね?‐‐‐
そんなささやきが、嫌でも耳に入る。
よし!
痩せよう!
そう決心した私は、狂ったようにフィットネスジムに通い始めた。
週に5日。
全身汗だくになりながら、ダイエットに励んだ。
‐‐‐腹を見たいなら見せてやる!‐‐‐
開き直った私は、タオルを持たずにジムに行く。
当然、汗が噴き出すので、Tシャツをまくって、汗を拭く。
周りの視線が私の腹部に集まるのが判る。
‐‐‐気にするもんか!‐‐‐
私は黙々とトレーニングに励んだ。
そんなある日、久し振りに胸がトキメク出会いがあった。
‐‐‐まるで椿姫だ‐‐‐
すらっとした手足、端正な顔、タンクトップとホットパンツが良く似合う20代の美人。
気がつくと、彼女は私のマシンの横に来る。
時々、目が合うと、にっこり微笑む。
通常受ける冷笑ではない!
彼女は天使だ!!!
女子更衣室の会話。
「ねえ、裕子。アンタ、なんでメタボ部長の隣に行くの?キモくない?」
メタボ部長に椿姫、と言われた裕子が笑いながら答える。
「だって、あの人の顔が見たいんだもの。スーザン・ボイルみたいで面白いでしょ?」