刺激
日々、慌しく過ぎて行く仕事。
朝、デスクに山と積まれた決裁書類の数々。
スケジュールを埋め尽くす会議、商談、接待。
デスクの電話も、携帯も一日中鳴り止む事はない。
人様が見れば、忙しくて結構な身分なのだろうが、少し醒めた目で見れば、どれも、私でなくても良い事ばかり。
もし、私が突然、蒸発すれば、会社は、間髪入れずに、別の人材を、私が務める、営業部長のポストに据えるだろう。
単身赴任の私が、月に1回だけ帰る、都心郊外のマイホームにある我が家。
20年以上連れ添った妻、成人した息子と娘も、夫々に自分の世界を築いており、経済面を除けば、私の存在意義など、殆ど喪失している。
特に、大恋愛の末、一緒になった妻とは、男女の関係は随分前に消滅しているし、お互いに、それに、何ら不満がない。
恐らく、私が別れを切り出しても、マイホームを渡せば、すんなり他人になる事に同意するだろう。
子供達は、私という縛りがなくなれば、さっさと家を出て行く筈だ。
51歳という年齢。
老け込む歳ではない、と人は言うが、決して若くもない。
ただ、気力、体力は急激に衰え始めている。
20代の頃の様に、会社を、仕事を盲目的に信じる事も、30代の頃の様に、体力の限界まで仕事に打ち込む事も、40代の頃の様に、出世競争を意識する事もなくなってしまった。
私の人生、一体、何なのだろう?
そんな事を思いながら、今夜、ふらっと立ち寄った、中洲のクラブ・アトリエ。
以前、取引先の役員に紹介された、こじんまりとした店。
確か、その時、私の横についたのが、彩香という娘だったと記憶していたので、指名してみた。
「いらっしゃいませ。お久し振りですね?」
「覚えてた?もう1年位前なのに。」
「ええ、とても印象深かったので。」
「俺、何か、話したかな?」
「はい、刺激がない、何にもやる意欲がない、と繰り返してました。私、その時、この方、とても疲れてるんだな、って感じました。」
「‐‐‐そう、そんな事言ってた?‐‐‐駄目だな、俺も‐‐‐」
単身赴任も3年を過ぎると、確実にアルコールが心身を蝕み始める様で、最近は、前の晩の記憶すらあやふやだ。
俯いて、頭を抱えた私の耳元で、彩香が囁く。
「その時、君を口説けば、刺激が甦りそうだ、と何度も言われてましたよ。」
改めて、彩香の顔を見ると、うっすらと頬を染める微笑んでいる。
ホステスの割には、薄化粧の瓜実顔の美形。
髪をアップにしていない所は、私の好みだ。
ドクン!
久し振りに、心臓がときめいて来たのが判る。
「‐‐‐そうか?‐‐‐‐悪かったね‐‐‐覚えてなくて‐‐‐‐」
何だか、言葉が詰まる。
「‐‐‐いいえ、私、嬉しかったんです‐‐‐好みのタイプだったので‐‐‐」
恥じらい、俯く彩香。
何だか、10代の頃の様な、気恥ずかしい気持ちになって来た。
「‐‐‐そんな事言われると、その気になっちゃうよ‐‐‐‐」
「‐‐‐いいですよ‐‐‐その気になって下さい‐‐‐」
彩香が正面から、私を正視する。
「‐‐‐本当に‐‐‐いいの?」
「‐‐‐はい、今日、お店が終わったら、連れて行って下さい‐‐‐‐」
私は両手で、彩香の手を包んだ‐‐‐‐。
ピピピピピ!!!!
部屋中に響き渡るアラーム音に、驚いて飛び起きる。
アラームを止め、時計を見れば、朝6時。
何だ、夢か‐‐‐。
いいトコだったのに‐‐‐。
そして、今日も、刺激のない一日が始まる‐‐‐‐。