『総斎志異 第七話』
世の中には時として人知では理解出来ない不思議な事が起きるもので
御座いますが、これなどもその類の話で御座いましょう。
ご存知の、あの安政の江戸大地震では、数千人からの尊い命が失われたので
御座います。
火事も処々方々で起こりましたが, 重い屋根瓦を背負って倒壊した建物の下敷きに
なっての圧死者も多かった様で御座います。
中には、土蔵の外壁の落下物の下敷きになり、顔が潰れてしまった娘を見て、
発狂した母親もあったとか、何とも気の毒な話で御座います。
ところで、その大地震で被害を蒙ったのは、人間ばかりでは御座いません。
人を化かすと言われる、狐、狸も同様に逃げ回ったそうで御座います。
大揺れに揺れる巣穴に居た堪れず外に飛び出して逃げ回った一匹の古狐が、
事も有ろうに江戸城の、選りによって大奥に逃げ込みまして、周囲の大騒ぎする
女達を目にしまして、得意の美女に化け済まし、挙句の果ては将軍様のお目に留り、
お手付きの栄誉に与り、遂にはお子まで授かったとか。
お紺の方と敬われ、かの篤姫様とも仲がよく、女ながらにかなりの知恵者として篤姫様の
良き相談役を勤めた由に御座います。
ある日、大奥で恒例の余興大会が御座いまして、お紺の方は、それは見事な
宙返りを披露しました処、うっかり太い尻尾が裾の下から現れまして、皆が驚くの
を尻目に、
「おや、私とした事が尻尾を出すとは、これは失態」
と、大声で言い、堂々と尻尾を仕舞う様子に皆大笑いして事なきを得たと言う
逸話も御座いまして、なかなか豪胆な雌狐では御座います。
その、お紺の方の好物は、当然の事ながら稲荷寿司で御座いまして、お付きの
お女中方は、年がら年中稲荷寿司を作らされたとの事で御座います。
お紺の方は、明治の中頃まで元気にされて居りまして、全国三万の稲荷神社の
総本宮である伏見稲荷に身を寄せて天寿を全うしたと言われて居ります。
完
作品名:『総斎志異 第七話』 作家名:南 総太郎