『総斎志異 第三話』
この世には時として人知で説明の出来ない事が起きるもので御座いますが、
今回の話も誠に不思議極まりなく、こんな事があるものなのでしょうか。
先ずは、爺めの話をお聞き下さい。
時は、慶応三年春、湯島三組町で魚商を営む茂平と言う男の話で御座います。
茂平は、三十過ぎても嫁の来手が御座いません。
二親を天然痘で亡くし、自分は命を取りとめたものの、ひどいあばた顔となりました。
働きは悪くは御座いませんが、これまで二度程見合いを薦められ、相手にも会い
ましたが、いずれも先方から無かったものとして断わられたので御座います。
確かに、江戸の世では、「美目定めの病」とか言われ、忌み嫌われたそうで御座います。
春の或る朝早く、魚売りは早朝の仕事です、ぼて(棒手売り)の茂平がいつも通り
魚河岸で仕入れた鰹や鯛を、肩に担いだ天秤棒の前後に下げた桶に並べて、
江戸の街を売り歩いて居りました。
丁度、上野の池之端に差し掛かった時、
「ちょいと、魚屋さん」
と呼ばれ、振り向くと女が立って居る。
年の頃、二十二、三、俗に言う「小股の切れ上った、何とも好い女」
「へーい、有難うざんす」
「いえ、魚が欲しいんじゃないんだよ」
「へい、何で御座いあしょ?」
「おまえさんが、余りにも良い男っぷりなんで、つい声を掛けちゃったのさ」
「恐れ入りあす」
「うちへいらっしゃいな。すぐそこなんで」
「いいえ、見ての通り仕事中なんで」
「じゃ、みんなあたしが、買い取ってあげるからさ」
「そうですか。と言うことでしたら、ちょっくらお邪魔させて貰いあしょうか」
女の後に従って、茂平が歩き出すと、
別の女の声で、
「あーら、お兄さん、女はそちらさんばかりじゃござんせんよ。こっちにも
向いてお呉れな。あたしが全部買い取ってあげるからさ、うちへいらっしゃいよ」
振り向けば、これまた、絶世の美女とは、こう言うものか、のお手本とも
言うべきうら若き女性(にょしょう)。
茂平は、一体、どうすればよいのか。
まさに、いずれが菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)と言った処。
「あら、あたしが先に声を掛けたのに」
そう言うと、後からの女が言った。
「じゃ、こうしましょ。高く買い取る方が、おにいさんを戴く、いえ、来て戴く事に
しては。これ、名案でしょ。ねえ、お兄さん」
茂平は、二人が競ってくれれば、より高く売れるんで、異論は御座いません。
「じゃ、そうして下さい」
二人は値を付けますが、予想通り、法外な値段になっても、未だ決着が付きません。
遂に、片方が競り買いを止めようと、言い出し、他方も同意しました。
結局、二人一緒に茂平を連れ帰ることになりました。
二人の美女に挟まれて、茂平は至極御満悦で御座います。
こんなあばた面を何故こうまで、それにしても、世間を見返す事が出来るわい。
一方、二人は巣、否、家が違うので、どうするかと思いきや、
突然、反則技、正体を現した大鶴が茂平の首めがけて鋭い
嘴を突き刺しました。
ひとたまりもありません。
茂平はその場に転倒、大量の血を流し、あっという間に絶息して
しまいました。
すると、別の一人が大きな五位鷺に姿を変え、鶴に挑み掛かります。
二人、否、二羽の鳥同士が茂平と言う獲物を取り合って争いを始めた
ので御座います。
不忍池に古くから棲み付いていた五位鷺と後から飛んで来た鶴の
獲物争いで御座います。
早朝から、不忍池で羽音も高く、激しい争いが延々と続きましたが、
結局、双方とも共倒れになったので御座います。
後ほど、不忍池の畔に横たわる茂平の遺骸を発見した者が言うには、死に顔が
大変幸せそうだった、との事で御座います。
完
作品名:『総斎志異 第三話』 作家名:南 総太郎