充溢 第一部 第二十七話
第27話・2/2
萌葱色の部屋で何時間寝てしまっただろうか?
床を抜けると、もはや辺りの空気は基底状態に極めて近づいていた。人は言葉を使い、この状態を励起させ発振させる。
拡散と変化、そうして世界は産まれていく。
それでも、世界は夜創られる。空気以上のものが世界を満たし、言葉以上の力が世界を変える。
自分は、ポーシャを通してしか社会にアクセスしていない。世界を幾ら覗き見たところで、どこまでも小さな自分が暗闇の中心にあるだけだ。
考えてみる。世界にアクセスするのが何かの価値なのか? 重要な価値なのか? 必要な価値なのか?
私は薬を作った。都合三人の命を救うだろう。しかし、それに何か価値があるだろうか?
価値は必要なのだろうか?
寝室にいては不安で押しつぶされそうになるので、仕方なしに広間に向かう。
客間には明かりが付いている。
これはと感じて、部屋に押し入る――二人の馬鹿が酒を飲みながら盛り上がっている。男って、なんでこう、想像通りなのかしら?
「おはよう」
フェルディナンドが酔いの回った目でやんわり返す。
「ああ、なんか凄く腹立つ。ポーシャが今どうしているか想像できるの?」
「寝てた女に言われる筋合いはねぇやなぁ」
酔っぱらいがもう一人の酔いどれに寄りかかる。寄りかかられたアントーニオもそんな調子で体勢を崩しひっくり返る。
ここじゃ話にならない。この屋敷でまともな人間、そしてこんな遅くまで起きているのは……
門番の男だ。門番は二人一組の持ち回りなので、通い詰めている間に常駐の男共の顔は全て覚えてしまった。
ポーシャと待ち合わせになってしまった時なんかに、少し話をする程度の仲だが、彼らの心境はもう少し深いだろう。
今宵の相手は、いつもむっつりしていて、鞘に入らぬ剣のような風貌の男と、白髪交じりの上品で気の良いオジサマの二人だった。語るのは後者だ。
あの旦那様は、次男がやり直す気になって、長男が帰ってきたものだから、浮かれているのだという。放蕩息子は一人だけでなかったのか……酷い父親だな。『一人だろうと、二人だろうと知ったことではない』と放つと、年寄りは疑問の相を浮かべて、静止し、やがて独り合点したようにして答えた。
「ああ、まだお聞きになっていませんでしたか。
実は彼の長男は幼い時に誘拐されておりましてね――それが実はネリッサなんですよ」
またしても意味が分からないぞ。妙な顔をしていると、もっと妙なことを言い出した。
人形に改造されたとき、性別まで改造されていたようだと――人体にあんな細工が出来るぐらいなのだから、そんな事も出来るものなのか。直ちに納得してしまったが、落ち着かして考えると、とんでもない話だ。
「貴方、しれっと言うけれど、衝撃的な話じゃないの!」
「今の主が主ですから」
そう言われると大抵の事が身も蓋もなくなる。だとしても、かなりショッキングだ。特に自身の身であるネリッサにとっては――秘密が一つ増えてしまった。
ただ、それを聞いて浮かれる親と言うのも信じられないことだ。
「人の親を画一的に見るものではありません。悪魔のような顔をしてながら、子供の為なら死をも厭わない人もいれば、聖人君子を装って、子供に人でなしの仕打ちをする人間はいます。
人間がそれぞれあるように、人の親がそれぞれである事に何の疑問があるでしょう」
愚問だったなとはにかむ。自分も、物事を決められたとおりに――常識的な範囲で――考えているんだな。
作品名:充溢 第一部 第二十七話 作家名: