『偽りの南十字星』 30
メダンは朝を迎えた。
昨夜は幸いにして、追っ手は来なかった。
皆揃って食堂で朝食を摂って居るところへ、杉原がひょっこり
姿を現した。
「良く出て来れたな」
驚く沢本が立ち上がって迎えた。
「えっ、だってビザが延長されたんだろ」
「いや、相変わらずだよ。変だな。でも君が無事で良かった。
さあ、飯を食おう」
「俺はもう食ったよ」
「そうか。じゃ、俺達も急ごう。何せ、追われてるんでね」
「追われてる、誰に?」
「ジャム爺達だよ」
「おかしいな。ジョニーが俺を送って呉れたんだよ」
「えっ、そりゃ妙だな」
二人の会話を聞いていた一同は互いの顔を見合わせた。
確かに、おかしい。
金庫の鍵は未だ気付いていないにしても、退去せねば、
逮捕するとまで言っていた、あの強硬姿勢は何だったんだろう。
それとも、全員追い出したくて、杉原の件は警察と交渉したのか。
金を握らせば、何でもOKの国だから十分考えられる。
袖の下と言えば、宗像が初めてメダンを訪れた時である。
数人の日本人だけ税関で後回しにされ、別室に順次呼び込まれた。
真っ暗に近い部屋には数人の税関員がいる気配で、取り上げた
パスポートを返して欲しければ、1万ルピア払えと言われ、払った
事がある。
パスポートは常時携帯していないとまずい。
仮に街中等で不携帯が見付かると警察に連行され、対応如何では数日
経って放り出された時には、顔の形が変わっていると言うのが当時の
ネシアでの常識だった。
これと似た経験を、ジャカルタの外務省でもしている。
空港で意識的に滞在期間を僅か数日だけにされ、後で気付いて慌てて
外務省に行き、担当部門の部屋に入室しようとすると、入り口に机を
置いて見張っている守衛如き男達が入室を許さない。
聞けば、今は多忙だからと言う。室内では担当者が手持ち無沙汰にして
いるのが、ガラス越しに見えているにも拘わらず、である。
おかしいな、と思いながら暫く待っていて、ハッと気付いた。
急いで持っていた文庫本の中に1万ルピアを挟んで机の上に突き出すと、
守衛はニッコリ顔で無言の侭、抽斗(ひきだし)を開けた。
中には、低額紙幣やら小銭が散らばっている。そこへ、1万ルピアを
入れた途端、「どうぞお入り下さい」と、来た。
万事この調子で集めた金を、幹部以下全員で分け合う。
勿論、上ほど取り分は多く、中にはその金で家を建てた者も居たらしい。
但し、こうした行為は観光者に対しては絶対やらない。
飽くまでも、業務目的で入国する者だけである。
宗像自身が妻と旅行した時に実証済みである。
さて、話を戻して、
兎も角予定通りジャカルタへ行こうと言う事で空港へ向かった。
朝早い便のせいか空席が目立った。
ジャカルタのホテルで出迎えた村田社長の開口一番が、
「馬鹿もん、此処へ来て一体如何する積もりだ」
沢本に向かって怒鳴った。
宗像は村田の剣幕に驚いた。
「日本へ帰れば良いじゃないか。それとも、俺達の代わりでもする
と言うのか」
村田の後ろに経理担当の細田が青白い顔で立っている。
後で分かったが、連日の取調べで下痢状態らしい。
しかし、細田は当時の金の動きには、全く関与していなかった訳で
気の毒なことである。
結局、沢本達はその日の内に帰国の途に着いた。
宗像もシンガポールに帰ることにした。
別れ際に、何か欲しい物があるか、と村田に聞いた。
「特に無いが、歌謡曲のカセットテープがあれば良いな」
「好みの歌手とかいるんですか」
「古い歌なら誰でも良いや。ところで、俺に丁寧な言葉つかいは無用だよ」
「分かった。古い物ならシンガポールでも手に入るよ」
「じゃ、頼む」
「オーケー、2,3日したら又来るよ」
機中、宗像はシアンター警察やジョニーの杉原に対する扱いに、相変わらず
不可解なものを感じるのだった。
続
作品名:『偽りの南十字星』 30 作家名:南 総太郎