小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

顔を失った女

INDEX|1ページ/1ページ|

 
『顔を失った女』

 ハルミは夏でも大きな帽子とマスクをして顔を隠している。部屋には鏡もない。だからといって、彼女が醜女と思うのは早計である。昔は清楚で美しかった。まるで花のように。それが五年前のことである。

ハンサムな男マサオと恋に落ち同棲を始めた。彼は優しかったが、上辺だけだった。優しさの下に異常ともいえる嫉妬心があった。同棲を初めの頃の話である、出かけるときには、いつも帰りの時間を聞いた。少しでも帰りが遅れると、その理由を聞いた。あるとき、会社の同僚と誘われて深夜に帰ったことがある。
マサオは起きていた。
「どうしたの?」
「分からないのか? 待っていたんだ!」
「もう十二時よ。寝ればいいのに」
すると、マサオは烈火のごとく怒った。いや、怒っただけではない。
「せっかく、待ってやったのに、その言いぐさは何だ!」と張り手を食わせたのである。
マサオの優しい仮面の下から、蛇のように執念深く邪悪な嫉妬心が見えた。それでも、それは愛するがゆえのものだと思った。ところが大きな勘違いだった。精神が完全に壊れており、そのパラノイアといっていいほどの妄想癖があった。口紅や服を変えたりすると、その理由をいちいち聞いた後、必ず他に男の関心を引くためにやっていると非難した。
「その髪型は何だ? 良い男でも出来たか?」
「口紅が派手すぎる」
「男を誘うような、その服は何だ! まるで娼婦じゃないか」
何も反論しないと延々としゃべり続ける。何か言うと、必ず口ごたえするなと暴力を振るう。このままでは、気が狂ってしまう。そう思ったとき、彼がいないときを見計らって、引っ越しした。ところが、あちこちに電話をかけまくり、引っ越し先を探し出す。
引っ越ししては連れ戻され、また隙を見て、逃げ出す。数回、繰り返した、ある日、ある日、錆びたナイフを持って現れ、彼女を切りつけたのである。そのせいで彼女は体や顔に大きな傷を負った。ぼろぼろの刃で切り付けたので、傷跡は消すことはできなった。

 ハルミが初めて自分の顔を見たのは、病院の庭先に落ちていた鏡だった。そっと映してみた。大きな傷跡が映っている。次の瞬間、鏡を地面に叩きつけた。
 
 病室で何度も死を考えた。悪夢も繰り返し見た。夢の中で顔に傷ついたのは単なる悪い夢を見ていたせいだと笑っている自分がいる。けれど目覚めると、悪い夢が現実であることに気づき泣いた。そんな悪夢を数えきれないほど見た。

退院した後も、彼女は何度も死にたいという欲望に駆られた。だが、病に伏した老いた母がいたので、死ぬことは叶わなかった。
 やがて醜い傷を現実として受け入れていた。それと同時に復讐する夢を見るようになった。殺し屋を雇い傷つけた男を殺す。それとも大型の車でひき殺す。その後で整形外科をして生まれ変わる……。そんな夢を何度も思い描いた。

 掃除の仕事についた。アパートと仕事場のただ往復するだけの生活だった。生きる支えの母親も退院した三年後に死んだ。
母親が死んでも、どうにか生きていけたのは、彼女の人生を滅茶苦茶にしたマサオに復讐するという夢があったからに他ならない。

 母親が死んで半年ほど経った日のことである。
一人の男が訪ねてきた。タカハシアキラと名乗る初老の男が来た。タカハシという姓でぴんときた。彼女の顔を傷つけた男の姓である。
男は「マサオの父親です」と名乗った。
 彼女は憎悪の炎に燃えた瞳で見た。男はうつむいた。彼女は男を観察した。本来ならまだ六十くらいなのに、十年以上も老けてみえた。
「真っ直ぐに見てください!」と彼女は静かに言った。
 男は顔を上げた。大きな傷の顔を見て静かに涙を流し泣いた。拭うことはしなかった。
「顔を返してください!」
 男は土下座した。何度も何度も「すみません」と泣きながら何度も謝った。その度に彼女は「顔を返して!」と叫んだ。
 男が黙ると、彼女は台所にから包丁を持ってきた。
 男が顔を上げると、その前に包丁があった。
 男は「あんたの気が済むようにしてください」と頭を下げた。何も言わなかったなら、その包丁で顔を傷つけたかもしれない。が、気が済むようにと言われた瞬間、彼女は思い止まった。何かが止めた。それが何であったか分からない。
「あの男はどうしたのよ!」
 男は涙声で「自殺しました」と呟いた。
 彼女の中で何かが崩れた。それを止めようにもどうしょうもなく崩れた。呪うこと。復讐する夢を見ること。それらが一度に音を立てて崩れていった。
「どうして、勝手に死んだのよ」
「あいつも悪党でしたが、もっと悪党に食い物にされて自殺しました」
「許さない。勝手に自殺するなんて」
男は何度も頭を下げた。
「これは僅かですが」と言って現金の入った封筒を差し出した。
女は受け取らなかった。
「帰って! 二度と、もう現れないで。でも、忘れないで、私は決して許さない」と追い返した。
 数日後、彼女は消えた。その行方は誰も知らない。




作品名:顔を失った女 作家名:楡井英夫