認定猶予 -Moratoriums-
「沙月と連絡が取れた。詳しくは聞いてないが、どうもアタリがついたらしい」
彼が何の話をしているのかは悠花にもすぐに理解できて、ほんのちょっとだけ背筋に力を入れ直して彼の顔を注視する。
その名前は勿論悠花も覚えていた。数日前、白城に連れられて会いに行った情報屋の名前だ。白城は助手が自分の方を見ていることに気付き、心なし顔を上げた。
「それで、俺はまた暫くしたら出掛けないといけない。今度はすぐ帰れると思うが――」
視線を少女の方へと確実に向ける。
「また留守番頼んでもいいか」
問い掛けの形を取っているが、悠花の返答など最初から一種類しか用意されていない。だから彼女は簡潔に、ぐい、と顎を引く。
「はい。大丈夫です」
しかし白城が気付かない訳は無かった。
言いながら、あからさまに表情が暗くなったこと。暗いというよりはもっと複雑で、怒っているとか呆れているとかいう感情よりは、不服そうにも残念そうにも、哀しそうに見える。
黙ったままココアを飲む悠花。それ以上何を問い返すでもなく、只々気落ちしているのが見て取れる。それはどちらかというと『待て』を指示されている犬のようでもあって、加えて白城は彼女に対しては滅法甘い傾向があるので、
「――と、思ったけど。どうするかな」
苦笑して呟けば、落ちていた悠花の視線が戻ってくる。小首を傾げる様子は、やはり小動物のそれに似ている。白城はちょっとだけ口角を上げたまま、冗談のつもりで尋ねる。
「なんて顔してんだ。そんなに留守番は退屈か?」
「はい」
真っ直ぐな視線。返事は思いもよらないものだった。
「ハル?」
「……いえ。なんでもないです」
反射的に確かめると、少女にも自覚があったのか、罰が悪そうにまた目を伏せる。明らかに動揺しているのが新鮮で、思わずまじまじとその表情を見廻してしまった。
悠花はというと白城の視線には気付かないふりで通したいようで、明らかに彼のほうを気にしている割には目線は絶対にかち合わなかった。早く白城の関心が逸れることを今か今かと待ち望んでいるようだった。
それでも、どこかの誰かのように気さくに話題が転換できる性格でもなくて。
「しゃーないな」
微笑み、こめかみの辺りを掻きながら。溜息ではなく嘆息で、呆れというより喜びで。
決断するのはいつだって上司の仕事だ。保護者と言い換えてもいい。こんな寂れた街に迷い込んだ一人の少女の。
「スポーツ欄を読み終えるまで時間があるから、着替えておいで」
悠花の顔が目に見えて明るくなる。
だから白城が、ただし、間に合わなかったらおいて行くぞと付け加えたのも大した効力を持たなかった。ぴしりと姿勢の良さを保って、二つ返事で立ち上がる。逸る気持ちはそわそわと抑えつつ、なんとか彼の話を最後まで聞こうと意気込んでいた。
白城が頷いて見せると、少女は大急ぎでドアの外へ出て行った。いつもより速足で、慌て気味で。少し離れた場所でドアの閉まる音がして、彼女がすっかり部屋に辿り着いたことを確認する。
応接セットのテーブルの上には置き去りのココア。毛布は悠花が今抱えて帰ったし、白城のスーツのジャケットは、いつの間にか丁寧に畳んでソファの隅に置かれていた。
一人だけになった部屋の沈黙は淋しくも耳に心地良かった。だから安心して、自分だけの独り言をそっと零す。
「……あんまり良いことじゃないと思うんだが。仕方ないか」
見詰めるのは閉ざされたばかりの事務室の扉。思いを馳せるのはまだ経験の浅い少女のこと。純粋な器には些細なスパイスさえ刺激が強くて、あまり味わってしまえばいつかは身体を蝕む毒になる。毒を毒と気づかないまま帰れなくなった人間を、白城は自分の職業の中で嫌というほど見てきたのだ。
そうは言えど、真実を知らせなければいけないという事実。それがいまぶち当たっている傷の程度とは関係なく、それでも悲観しすぎることはなく。だって遅かれ早かれ、それが本物だと言うのなら。自分たちが通る道は同じなのだろうから。
それに、今の白城には少しの自信が残っていた。それだけで充分すぎる程だった。
大丈夫。迷子になったら探しに行くよ。
正面きってそう言葉にすることはないけれど、その根底にある感情は決して偽物ではない。
あの小さな指先をぎゅっと掴んで、彼女が消え去ってしまういつかが来ることに臨んで。
作品名:認定猶予 -Moratoriums- 作家名:篠宮あさと