古い本
小さいころ、おばあさんによく聞かされた話。
――はじめはただの好奇心だった。悪魔なんているわけが無い。そんなことはわかっている。
しかし、もしかしたら……本当にもしかしたら――
――いる、かも知れない……。
今、目の前にある一冊の古びた本。
いつ作られたものなのかわからないが、何かの動物の皮で手来た表紙には見慣れない国の言葉がかかれている。
永い年月の間、そこに存在し続けた証なのだろう。本は埃をかぶり、古い本特有のカビ臭さが漂ってきた。
本の端には銀の錠が付けられている。不思議なことに鍵穴は無く、まるで何かを閉じ込めているようだ。
ゴク……
緊張のためか、知らないうちに息を呑んでいた。
「いいかい、お前が本当に困ったとき、この本を開けてごらん。
きっとお前の助けになるだろうよ」
思い出されるおばあさんの言葉。その本は、今まさにこの手にあるものだ。そして、いつもおばあさんはこう続けた。
「でも安心してはいけないよ。この本の中には悪魔が住んでいるのだから……。
気を抜くと魂を持っていかれてしまうからね」
おばあさんが死んで数ヶ月。遺品の整理のためにおばあさんの部屋を片付けていた時、偶然見つけてしまった謎の扉。
恐る恐る、重く錆びついた鉄の扉を開けると、扉は耳障りな音を立て開き、その中には一冊の古びた――今この手に持っている本があった。
別に僕は今、困っているわけではない。助けも必要としていない。
(でも、本当に悪魔がいるというなら……一度見てみたい)
本を開こうとして、銀の錠がついていることを思い出した。一体どうすればいいのか本を色々な角度から眺めたが、どうしていいのかまったくわからない。
あきらめて本をもとの場所へ置こうと歩いていくと、本の置いてあった床の下にはうっすらと文字が書かれていた。
(これは……?)
『汝の血をもって契約は完了する』古くかすれた文は読みづらかったが、確かにそう読めた。
「自分の……血?」
その文を訝しげに見ながら、とにかく自分の指を持っていた小型のナイフで少し傷付ける。
「っ!」
軽い痛みとともに紅い血が浮き出て球になった。
その血を銀の錠につけると、錠はまるで初めからそうであったようにひとりでに本から外れる。
そして、何の枷も無くなった本を手にとって……。
本を開け、沈黙。
やっぱり何も起こらなかった。そう思ったとき――
「お前か、私を呼んだものは……」
それは、そこにいた。今まで何も無かった空間に、突如として現れた。
漆黒の髪と瞳、褐色の肌、ごくありふれた姿をした男。
一見すると人と変わらない姿。しかし、その異質なオーラは明らかに人間ではないものだと主張していた。
男は僕のもっている本を一瞥し、僕の顔を見る。
男の瞳には光は無く、ただ暗闇だけがそこにはあった。
魂さえも鷲づかみにされたような錯覚を覚える。
「お前の望みは叶えられたはずだ。盟約に従いお前の魂を貰おう」
「そんな、僕は何も願っていない!!」
「いや、お前は望んだのだ。だからこそ私がここにいる」
薄れ行く意識の中で、僕はおばあさんの言葉を思い出していた。
「でも気をつけなくてはいけないよ。この本の中には悪魔が住んでいるのだから………」