赤い糸
甲状腺癌
妻の病名が雁と知らされた時、僕は妻にもっと優しくしてあげれば良かったと後悔した。
そして涙が止まらなかった。
診察室を出ると直ぐに3人の子供たちに電話を入れた。
長女も次女も実家で待っていると言った。
長男は仕事の都合がつかず明日来ると言った。
「患者さんには知らせますか?」
先生の言葉を僕1人では判断できなかった。
僕は癌に対する知識も無かった。ただ、治りにくい病気だと思っていた。
「知らせた方がいいよ」
と長女は言う。
「そうだね、その方が自分の好きなように生きられるかも」
と次女も賛成だ。
二人とも涙声である。
どちらにしてもそんなに長くは生きられないと感じている。
翌日
「妻はどのくらい生きられるのでしょうか」
と担当医に質問した。
「そんなこと心配すること有りませんよ。他に転移してませんから」
その言葉に僕は自分自身が生き返った思いだった。
「妻には告知して下さい」
僕はそうお願いした。
手術は終わり、1ヶ月に1回ほどの定期検診で済んだ。
妻は半年もすると仕事を始めた。
気分転換が出来ていいと言った。
自営なので好きな時にやれば良かった。事務に疲れれば庭で花の手入れなどをしていた。
5年過ぎた。ほっとしたが、甲状腺癌は進行が遅いので10年経過しないと安心出来ないと言われた。
6年半、再びがん細胞が発見された。
12月8日妻は手術することになった。
以前の様なおどろきはないが、かえって妻が僕の事を心配してくれることの方が、僕を泣かせた。
洗濯はこうして下さい
食事はこうですよ
冷蔵庫に10日分の食材はありますよ
献立も作ってくれた
ただ僕がそれが出来るかどうかである。
一通りはやってみたが全くできないと言った方がいい。
「弁当を買うから」
「駄目です。どうしても覚えてください」
妻のその言葉は、自分を残して先に逝ってしまうかのようで悲しい。
幸い他に転移は無く、喉だけの手術で済む。
あと2日であるが妻はいつものように食事を済ませてテレビを見ている。
このままあと10年20年過ごせたらと思う。
赤い糸で結ばれているのであれば、例え誰かに切られても僕は手繰り寄せて結んでおこう。