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ドビュッシーの恋人 no.3

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シャンゼリゼ大通りはいつ来ても人が多い。世界中から観光客が集まる地域なだけに、一流ブランドの店や映画館、華やかなアーケード、有名カフェなんかが集まっている。ミランは正面に構える凱旋門を横目に、群衆の流れに沿ってゆるやかな坂を歩いていく。
指定されたレストランに入店し、ウエイターに頼んでカミーユを呼んでもらった。

「おお、ミラン。わざわざ悪かったな」
「カミーユ。もうプライベートのことは、これっきりにしてくれよ」

わかってるさ。そう適当に相槌を打つ師匠に、ミランは疑いの念を抱かずにはいられない。一緒にどうだ、と食事に誘われたが、さすがに逢引している女性と師匠の間に入るのは気が引ける。ミランは当然断り、カミーユと別れてレストランを出ようとした。

そのとき、中央に設置された壇上でピアノ演奏が始まった。
―――月の光。
印象主義音楽のフランス作曲家クロード・ドビュッシーの、あまりにも有名すぎるピアノ曲だ。そのまろやかで切なく、どこか凛とした美しい音色に、ホールにいた誰もが聞き入っている。
ふとピアノを奏でる女性を見て、ミランははっと息を止めた。

「信じられない……」

演奏者の椅子に座っていたのは、毎朝ミランが『エスメラルダ』で待っている、愛しの女性だったのだ。
今朝見たばかりの黒いツイードワンピースに身を包み、しなやかな指先で『月の光』を奏でている。
見間違いかと思った。でも確かにその人は、彼女、だった。
曲が終わり、一斉に拍手が沸き起こる。彼女は椅子から立ち上がり深々と一礼すると、いつもミランに見せてくれるあの可憐な笑顔で、人々の温かな拍手を受けていた。

「どうして彼女が……?」

ミランは唖然としてその場に立ち尽くしていた。
するとそんなミランに気付いたのか、彼女がこちらに視線を止める。ミランと同じく彼女もまた目を大きく見開いた。毎朝カフェで顔を合わしているウエイターが、ホールの隅でぽかんと突っ立っていたのだ。とても驚いたはずだろう。
けれど彼女はすぐに表情を緩め、そっとミランに微笑みかけた。

(う、わ……)

その瞬間、ミランは思わず胸が詰まってしまうくらいに、彼女に恋焦がれてしまった。
そんなの、今に始まったことではないけれど。こんなに胸が高鳴ることなんて、今まで経験したことがない。と、ミランは、思った。

「こんばんは」
「こんばんは。こんなところで会うなんて奇遇ね」
「僕も驚いた。君、ピアノ弾くんだね」

壇上から降りた彼女に、精一杯勇気を振り絞って声をかけたミラン。彼女は自然とそれに応え、ええ、と照れくさそうに笑う。
そのとき二人は初めてオーダー以外の会話を交わした。シャンゼリゼ大通りにある高級レストランの片隅で。

「素晴らしい演奏だったよ」

息を吸うのも忘れてしまうくらいに、素晴らしかった。

「ありがとう。嬉しいわ」

クラシカルな空間の中にいても、彼女の笑顔は何一つ変わらない。
伝えきれない想いがミランの胸中を渦巻く。まさかの展開に戸惑いながらも、ミランは眩暈に似た感覚に酔いしれそうだった。

「君の名前、聞いてもいいかな?」
「クリスティーヌよ。あなたは?」
「僕は、ミランだ」

クリスティーヌ。心の中でもう一度、つぶやいてみる。
ようやく聞けた彼女の名前。
ミランが恋する女性の名前、だ。



[to be continued...]