『偽りの南十字星』 13
第三章 破綻
1978年
陳の打った白球は快音を残して見事フェアウェーのど真ん中に飛んで行った。
「ナイスショット」と言った村田智彦が、目を瞠(みは)った。
着地したボールは右傾斜を転がると無情にも白杭を越えて藪の中へ消えた。
OBである。
「そんな馬鹿な! 何だ、このホールは」
そう言う村田に、陳が言った。
「ここは、これがあるんですよ。気を付けないと」
飛んだターフを拾いディボットに置くと丁寧に踏み、ニューボールをプレースした。
今度は若干左目に飛び出したボールが見事中央に留った。
「これでよし」
そう言って、陳が歩き出した。
そのホールは結局村田がパーで上がり珍しく陳に勝った。
ハンデ3の陳に対し、ハンデ12の村田が普通なら勝てる筈がない。
しかし、その分9のハンデを貰って、五分五分で勝負の出来る処がゴルフの
面白さなのである。
尤も、将棋も囲碁も同じ様なものだが。
湿度が高くジットリ汗ばんだ体に、広い池の方から吹いて来る涼しい微風が心地よい。
何か甘い香りを感じるが、花の匂いかそれとも野性の熟れた果実の発する匂いか。
当時で90年近い歴史を誇るシンガポールのSICCのブキットコースである。
ここのところ、二人は週に一回程度のペースでやって来る。
村田はフッと、3年前の今頃、総務部でふて腐れていた自分を思い出した。
現在のこの生活が嘘の様である。
入社以来何故か、色々な営業部を盥(たらい)回しにされ、遂には何処も引取り手
がなくなり、仕方なく総務部長が手元に置いたのだった。
自分では普通に働いている積もりだが、どうも部長連中の受けが良くない。
しかし、人生とは妙なもので、終点と思った筈の総務部が、新たな人生の
出発点になったのだから、不思議である。
選りによって、社長に見込まれたのだから、尚凄い。
相変わらず、自分では何故なのか全く分からない。
第三者が見れば、恐らく人一倍どころか、人数倍の図々しさの故だろうと気付く筈である。
良く言えば、今時のサラリーマンには珍しい「豪胆」さがある。
見込まれてどうなったかと言うと、社長の媒酌で鎌倉でも老舗の割烹旅館の娘に婿入り
したのである。
巷の噂では、いまだに独身の社長が旅館の女将に生ませた娘らしい。
真偽の程は分からぬが。
更に、その新妻を連れて新設のシンガポール駐在員事務所の初代所長として赴任して
来たのだから、本人が驚くのも無理はない。
今でもあの日の事を思い出すと、背中がむず痒くなって来る。
読む所も無くなった新聞を眺めていたら、秘書の一人が社長がお呼びだと言ってきた。
遂に来るべきものが来たか、と覚悟を決めて社長室に入って行った。
村田が椅子に腰を下ろすのを見届けて、社長が口を開いた。
「かねがね、五味屋の女将から娘の婿を捜して欲しいと頼まれていたんだが、これと思う
者はどれも既婚者ばかりでね。ひょいと気が付けば、「灯台下暗し」、君がいるではないか。
どうかね、婿になる気はないかね。調べさせたら、君は長男ではないとか。それとも、既に
きまった相手でもいるかね」
村田は、余りの風向きの違いに内心驚いた。
勿論、否も応もない。
即座に、お願いします、と頭を下げた。
たった、それだけの動作で人生が逆風から追い風に変わったのだった。
続
作品名:『偽りの南十字星』 13 作家名:南 総太郎