世界を変えた瞬間
とある部屋で中年くらいの男は呟いた。部屋は十二畳ほどで、中心に大きなベッド。床には無造作に積まれた本が規則性なく置かれていた。
ベッドには医療器具に繋がれた、アイリと呼ばれた女の子が一人。歳は六、七歳だろう。口に呼吸器を着けてわずかに呼吸しながら眠っている。
アイリを見下ろす男の目には涙が浮かび、男はすぐにそれを拭った。
アイリの頬を手の甲で撫でながら憂いの目で見つめる。
「もうすぐ――お前の望んだ世界がやってくる」
男はそう言い残してその部屋を出る。部屋はこの塔の最上階。長い長い螺旋階段の中心をエレベーターで降りていく。しばらくして最下層――即ち地下二階に到着する。
地下二階には、十人くらいの人間が軽いパーティーを開けるくらいの空間がある。しかしその空間は、機材やら大量の本やらで男一人が作業をするので手一杯だった。
男は部屋の真ん中に置かれた機械に近づく。
鉄のやや錆付いた銀色がむき出しになった露骨な機械。装置本体を囲んだごちゃごちゃした機械は大きいが、本体の機械はさほど大きくはなかった。本体は箱のような形をしてる。
男は機械に囲まれた箱の形の機械を取り出した。ずっしりと重く、鉄の冷たさが男に伝わった。それをエレベーターに載せて、さらに散らかった本も大量に載せる。男一人が作業をするので手一杯だった部屋は大分広くなった。
自らもエレベーターに載り、大量の本と箱の機械と共に、殺風景になった部屋を後にした。
しばらく待って最上階に到着する。まずは箱の機械と本をエレベーターから降ろした。元々、本が大量にあった部屋はさらに本で溢れ、全て降ろした頃には足場はほとんどなくなっていた。
これではいけない。そう思った男は、本を種類ごとにまとめて置いた。
部屋は以前と比べてスペースはできたが、箱の機械を置く場所がなくなってしまった。仕方なく、本を積み上げてそこに置くことにした。
箱の機械に繋がったコードを本に配電するように這わせて、箱の機械の電源を入れた。
「アイリ、私の愛する娘よ。これまで辛かっただろう……しかし、これからは楽しい世界が待っている」
箱の機械に繋がったニットの帽子を、ベッドで眠っている女の子にそっと被せた。
「これでお前は、本の世界で生きる事ができる。私が生きている限り」
男は優しい笑みを浮かべて、外に出ようとエレベーターに乗り込んだ。地上一階まで降りていく。その時、女の子の目から流れた涙を男は知らない。
外に出た男はまず空を見た。どこまでも続く黒い雲に覆われた空。太陽の光さえなく、鳥も飛んでいない。肌に当たる風は異様に冷たい。地上を見ると、そこは荒野。緑はどこにもない。あるのは剥き出しの茶色の土と、誰のかも分からない骨、倒壊した巨大な建物が遠くに見える。
人口的な光は、男が出てきた建物の最上階にしかない。
男は地面に片ひざを着いて茶色の土に触れた。乾燥したぱさぱさした感触。
「もう……そろそろか」
暗い空を見上げて、男は独り呟いた。