『偽りの南十字星』 8
『偽りの南十字星』 8
玉井と朝食を済ませたが、出掛けるには未だ早過ぎる。
永田市郎は、ホテルの窓際で新聞を見ながら、時折街の様子に目を遣る。
あちこちに聳え立つクレーンが活発に動き、現在シンガポールはビル建設ラッシュの様だ。
昨日到着後、早速、主力取引銀行のシンガポール支店にアポを取り、今朝一番に支店長
と会うことになっている。
永田はかねがね或る構想を持っていた。
それは、藤和産業もシンガポールに支店を持つべきだということである。
小さいながら、インフラの整備された、この国は東南アジアで何かをする際は、絶対外せない
重要な場所だと確信している。
従来東南アジア向けに輸出している幾つかの品目も、支店があればもっと積極的に売り込み
が出来ようし、今回出張の主要目的であるパイ缶の件も、製品の輸出や必要資材の手配等
を此の東南アジアの臍とも言うべきシンガポールでコントロールすべきだと考えている。
その辺の調査も兼ねての銀行訪問である。
海外各所に拠点を置く大手銀行は、各方面の事情に通じており、調査では大いに助けとなる。
銀行での面談の結果は、矢張り、永田の思惑通りだった。
彼等も全く同意見で、出席者一同が口を揃えて支店設置を強く薦めた。
尤も、彼等にとっても顧客が増える訳だから異論のある筈もないが。
同業他社は支店或いは駐在員事務所を既に設置しており、藤和は遅過ぎるとまで言われた。
更に、パイ缶の新事業には有力な人物を紹介すると約束して呉れた。
永田はホテルに帰ると、早速本社に一回目の報告の電話をした。
相手は常務の藍川金作である。
藍川は社長への報告を約した。
翌日銀行の応接室で永田は一人の華僑を紹介された。
40歳台半ばのスマートな紳士である。
銀行側の説明では日本の大手メーカーが揃って彼の手を借り、シンガポール、 タイ、マレーシア及びインドネシア政府関係の大型取引に成功していると言う。
渡された名刺には、
陳有限公司 総経理 陳英明
とだけある。
流暢な日本語を話す陳に驚いて、永田は何処で日本語を学んだかを聞いた。
「台湾の公学校時代に日本語教育を受けました」
との返事が戻って来た。
「ああ、台湾のご出身ですか。道理で、日本語がお上手な筈ですな」
ホテルへ帰るタクシーの中で永田は玉井に語った。
「あの陳さんとか言う人物はほんとに大丈夫なのかな。日本流に言えば、いわゆるブローカーって奴だろう。大手メーカーがほんとに付き合っているのかな」
「銀行が言うのだから嘘じゃないでしょう」
案の上、電話の向こうで藍川常務が言った。
「社長が嫌うタイプだな」
続
作品名:『偽りの南十字星』 8 作家名:南 総太郎