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南 総太郎
南 総太郎
novelistID. 32770
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『鬼と鎌鼬』

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『鬼と鎌鼬(かまいたち)』

男の父親は水戸藩の家老職にあり多忙だったが、月に何回かは
男の家に顔を見せた。
来ると、必ず男を抱き上げては口癖のように、
「利発な子じゃ、利発な子じゃ」
と言った。その都度、母の志摩は不機嫌な表情を露(あらわ)にした。
生まれながら病弱のせいか、自分に瓜二つの長男の方を偏愛した。

父親は鹿島新当流の免許皆伝の腕前で、男には幼少時から剣術
の指南をした。甲斐あって、元服の頃には既に水戸藩随一の剣術家
の域に達していた。それを絶対に口外せず剣術嫌いで通すよう命じた。
男はそれを忠実に守った。

ある日のこと、男は父親から庭先で剣術の稽古を付けて貰っていた。
未だ幾分幼さは残るものの、裂帛の気合は十分相手を怯ませるもの
があった。
「ふむ、なかなかの気合じゃ」
そう言いながら、父親は男の木刀を辛うじて受け止めた。

父親は部屋に戻り稽古着を脱いで驚いた。
二の腕に三寸ばかりの切り傷がぱっくり口を開けていた。
「何じゃ、これは」
志摩を呼んだ。
「こんなひどい傷、誰に斬られたのですか」
「誰にも斬られたりはせぬ」
「血は出てませんが、痛くはないのですか」
「それが全く痛くないのじゃよ」
「取りあえず手当てはしますが、お医者様に見せた方が宜しいかと」
「うむ、そうする」
そこへ、男が入って来た。
志摩が叱った。
「あなたって言う人は。お父上がこんな大怪我をなさっているのに、呑気
にお稽古を付けて貰っていたのですか。御覧なさい、これを」
「父上、怪我をなさっていたのですか」
「それが、全く心当たりが無いのじゃよ」
「私の木刀では」
「まさか、木刀で腕は切れまい。お前がいくら腕達者だとて」
「痛みますか」
「それが、奇妙な事に全く痛みを感じないのじゃ。それに、血も出ぬわ」
「もしかして」
「もしかしてとは」
「鎌鼬(かまいたち)かも」
「鎌鼬とな」
「弘道館で鎌鼬にやられた者がおりましたが、父上と同じ事を申して
おりました」
「そうか。鎌鼬か。と言う事は、ひょっとしてお前の木刀が鎌鼬を起こ
したのかも知れんぞ」
「まさか、私が」
「剣術も内密じゃが、この鎌鼬の事も絶対口外するでない。いいな。
志摩もな」

男は、後刻試してみて驚いた。
父親の言うとおり、木刀で風を起こすだけで鶏が斬れた。
面白いことに、布を被せると布は切れずに、鶏だけ斬れた。
更に、真剣を使って試したところ、刃先が全く触れぬのに鶏が一羽
真っ二つに切れた。
これには、男自身が薄気味悪く思った。

兎も角、男には学業上位、武術最低と言う水戸藩校弘道館内での評判が定着した。

安政二年(一八五五年)十月、大地震が江戸を襲った。

小石川の水戸藩邸が倒壊、水戸の両田と呼ばれた家老の戸田忠太夫、
側用人の藤田東湖が共に圧死した。

更に、追い討ちをかけて、安政五年から翌年にわたり戌午の大獄(後に
安政の大獄と呼ばれる)が始まり、戸田の実弟、家老の安島帯刀ほか
藩の重要人物が次々に消え、水戸藩の内部分裂が始まった。

即ち、藩内が激派と鎮派に分かれて、睨み合う事態となった。

本来、尊皇攘夷を掲げる藩校弘道館でも、当然激派に加わる者が
多数出たが、学校係りの金太郎としては強権を以ってしても、これ以上
の激派への転向を抑えたかった。

ある日、男を呼び出した。
金太郎にとって、男は腹違いの弟である。
齢は十ほど違う。

「お前が世間の評判に反して、実は藩内一の剣客だと言う事は、親父
から聞いて知っている。今や、その剣術を活用すべき時が来たのじゃ。
死んだ親父もさぞ喜ぶ事じゃろう。書生なれば藩の危急存亡の折は、身を
賭して藩命に従わねばならぬ事ぐらい知っておろうな。就いては、人を斬って
欲しい」
「人を殺めるのですか」
「そうじゃ。これ以上、藩校生を激派に取られたくはないのでな」
「一体、誰を斬るのですか」
「これが、対象になる人物じゃ」
一枚の紙片が渡された。
「藩の重職にある方もいるじゃないですか」
「そうじゃ。彼等がいなくなれば、激派も解散するじゃろ」
「しかし。藩の要人を斬るからには、藩主のお墨付きが必要では」
「そんなものは、不要じゃ」
「それでは、私が困ります」
「わしの命令で充分じゃろうが」
「しかし」
「これは、暗殺じゃ。誰の仕業か判らぬわけじゃ。それに、お前は剣術嫌
いで通っている。誰もお前とは思わぬよ。心配無用じゃ」
「要は、これ以上激派への転向者が出なければよいのでしょう」
「まあ、それはそうだが」

間もなく、水戸の巷に妙な噂が流れ始めた。

鬼が出ると言う。
鬼は腕を食らうらしい。
既に犠牲者が数人出たが、いずれも利き腕を食われたと言う。
素早く食われて、しかも痛くも痒くもないゆえ、自宅へ着いて家人に言われて
腕が無いことを知った者もいるらしい。
おかしな事に、侍ばかりだと。
みな家に引き篭もって城への出仕を控えているらしい。
更に判ったことは、犠牲者のいずれも、激派の者ばかりだと。
きっと、攘夷を恨む異国からの鬼の仕業だろう、との専らの噂である。


                      完

作品名:『鬼と鎌鼬』 作家名:南 総太郎