Pure Rain
切ない誕生日。こんな日があったから、痛いんだ。
[ P u r e R a i n ]
消えてしまいそうなくらい存在感が失せた古い廃墟のビル。そのビルの屋上が陽太のお気に入りの場所だった。小さい時からこの場所から見える風景が好きで、晴れた日は暇さえあればここに来て空を見上げていた。
「陽太のお気に入りの場所」と言っても、昔は幼馴染みの真由美だってこの場所を好んでは頻繁に一緒に来ていた頃もあった。誰にも邪魔されない空に浮かんだ小さな空間は、二人だけの秘密のアジトだったから。
けれど真由美はもう何年も前からこの場所には来なくなってしまった。だから今は、陽太一人だけの「居場所」だ。
真由美には心地良い居場所がある。ここではない、違う場所に。それもちゃんと、陽太は知っている。
○●○
誕生日おめでとう、陽太。
そう言った彼女はふわりと笑ってプレゼントを渡してくれた。まるでそれが当然のように、俺の目の前に現れて。
「真由美、よくわかったね、ここ」
「何年の付き合いだと思ってんのよ。陽太の居る場所なんてわかるって」
そう言って、またふわりと笑う。綺麗になったな、と思うのは、きっと気のせいでもなんでもなくて、本当に真由美が女らしくなったからだ。
あまり見ないようにしていた真由美の顔。彼女と目を合わせて話すのはひどく懐かしいような気がする。ずいぶん変わったなと思った。同じ高校に通っているくせに、今までなぜ気づかなかったのか不思議なくらい、真由美の白い肌も、綺麗に整った容姿も、色素の薄い細い髪も。あまりに綺麗すぎた。その中で相変わらず変わらない、茶色く透き通った瞳。その変わらない瞳だけが、俺の知っている「真由美」だった。
「亮は?」
俺の言葉に、え?と首を傾げる真由美。
「どうして亮なの?いないけど?」
俺の幼馴染みでもあり亮の彼女でもある真由美は、不思議そうに俺の顔を覗き込んで、また綺麗に笑った。
「亮も連れて来ればよかった?」
「…まさか。あいつはいーよ」
「あれ、そうなんだ」
視界に開けた青い空を見つめながら真由美が一つ伸びをする。天気が良かった。恨めしいほどに晴れ渡る空だ。
「懐かしいな、この景色」
錆付いた手すりに手をかけて街を見渡しながら真由美がぽつりと言う。きっと真由美にとっては「懐かしい」景色なんだろうけど、俺にとってはいつもとちっとも変わらない景色。それが少し、苦かった。
5月5日といえば世間ではこどもの日。そのおめでたい日に俺は17年前生まれた。隣の家の真由美と幼馴染みになったのもまだ赤ちゃんだった頃から。
真由美は昔から頼りない俺を支えてくれる強い子だった。いつも傍に居て笑ってくれる真由美は俺の一番の友達で、誰よりも大切な存在で。だからいつしか真由美のことが好きだと思うようになっていたのも本当に自然的なことだったし、その恋も当たり前のように受け入れてもらえると、そう思っていたのに。
けれど、それだけは違っていた。
高校に入学したとたん、真由美は亮と付き合うようになって、それと同時に真由美の何かが変わっていった。
亮のために綺麗になろうと頑張っている真由美。そんな彼女を見て遠退いていく距離を感じずにはいられなかった。俺を置いて一人だけどんどん先へ行ってしまう。真由美は亮しか見えないから―――。
亮がいなかったら、真由美は隣に居てくれた。
亮さえいなかったら。亮なんて、消えちゃえ。
そう思うのに。何度も何度も、思った、のに。
真由美はいつも笑った。私は幸せなのと言うように、笑った。
その笑顔が綺麗すぎた、から。
だから俺は、まだ真由美のことが好きなんだ―――。
「どうせまた寝てたんでしょ」
俺の隣に座って呆れた様子で言う真由美。俺はふあ、と一つ大きなあくびをして目を擦る。
「たまの休日なんだから、寝るのは普通っしょ」
「いつも寝てるくせに」
くすくすと笑う彼女を見て、俺は口を尖らした。
「寝る子はよく育つってやつ知らないの?」
「そうなの?」
「そーだよ」
「ふーん。なんか嘘っぽいね、それ」
「…うわ」
俺は一つため息を吐いて、その場にゴロンと寝転がる。思った以上に空が眩しくて、少し目を細めた。
「また寝るんですか、陽太くーん」
隣で身体をゆさゆさを揺らしてくる真由美には答えず、俺は黙ったまま空に視線を向け続ける。
(来なくて良かったのに)
気が遠くなるような空を見ながら、ふと思う。
(来ないでほしかった、よ)
どうして真由美は来たんだろう。俺なんかのために、なぜ。
幼馴染みだから来たの?ただの幼馴染み、だから―――?
そんな風に見て欲しくなかった。真由美に幼馴染みとして見て欲しくないんだ。
でも真由美には亮がいる。それを隣で見てきた俺は、いつも、こんなにも、苦しいのに。
―――痛い。
「ねー陽太。コンクリートだと寝るの辛くない?」
「んー?辛いけど…でも眠いから我慢する」
ぷっと吹き出す。そこまで寝ることに執着している自分にも少し呆れるけど、真由美は「陽太らしいね」と言ってくれた。
「しょうがない、膝枕してあげよう」
「え?」
「今日だけサービス」
俺は驚いて真由美の顔を見つめた。
「なに言ってんの。いーよ」
「遠慮することないわよ」
「いや、遠慮とかじゃなくてさぁ」
「なによ、人の親切を」
―――痛い。
「や、なんで…」
なんでそんなこと、するの?
真由美には亮がいる。俺には敵わないほど格好良い恋人がいて、俺の手の届かないところで真由美は居場所を持ってる。
でも俺は真由美が好きだ。こんなにも、好き、なのに。
痛い。痛イ。
「はい、どーぞ」
笑顔で言う真由美に断りきれず、膝に頭をのせる。
雨だったら良かったのに、と思った。雨だったらこんな風に真由美もここには来なかったし、真由美の顔も見なくてすんだんだ。
「っていうかさ、俺が寝ちゃったら、ずっと動けなくなるよ?」
そう言うと、真由美は動じた様子もなく、ただ「うん」と頷いた。
「今日だけ特別だからね。いーよ」
特別な日。俺の17歳の誕生日。
泣きたくなるような、青い空が、見えた。
「真由美…」
「なに?」
「やっぱり、叶えられないこともあるんだね…」
「え?」
なんとなく、そう言った自分。きっとその意味は、彼女はわからないんだろう。
だから怪訝そうな顔を浮かべる真由美に少しだけ笑ってみせる。でもそれはとても痛くて、上手く笑えなかった気がした。
「…ううん、なんでもない。寝るよ」
「あ、あんまり長く寝ないでよー」
真由美の笑顔を見てから、静かに目を閉じる。
夢を見よう。
なんでもいい。とびきり笑えるような、夢。
目が醒めて今日が終わる頃、きっといつも通りの自分でいなきゃいけないから。そしたら真由美の前でも、上手に笑えるようにしなきゃいけないから。
明日になったら、この痛みも消えてくれるはずだ。きっと。
今日だけの痛み。今日だけの、戸惑い。
そんな、切ない誕生日。
作品名:Pure Rain 作家名:YOZAKURA NAO