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Twinkle Tremble Tinseltown 2

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「ジョン・ハグリー……ハグー・ペットフーディッドの開発部長」
 少し迷ってから付け足された「いい人よ」という表現が、それ以上の意味を持たないと分かっている。それでもソロはスカートの裾を握り締めていた。寄った皺にあわせて、光沢が不快な程めまぐるしく変化する。
「いい人ね」
 むき出しの肩が強張ったことで、混乱に怒りと痛みが加わる。
「どうして俺に相談した?」
「いい機会だから」
 所在なさげに動いていた爪先はいつの間にか深い毛足に絡め摂られ、動きを止めていた。
「運命なんて信じないけど、今日来てくれたのはある意味、偶然じゃないのかも」
 元来それほど口のまわる性質ではないが、今のブランチはいつにも増して言葉を選ぶのに躊躇している。次に来る内容を予想しながらも、ソロは辛抱強く耳を傾けた。
「一緒に来て、おじいさまに会って欲しい」
「無茶言うなよ」
 すぐさま打ち返された否定に唇が引き結ばれたのは、斜め後ろからでも見ることができた。
「そんなことしたら勘当どころじゃ済まないぞ」
「別にお金なんか」
「耐えられるのか?」
 いつもからかわれるさりげない気品は、彼女に嘘をつくことを許さなかった。正確には嘘と言えないのかも知れない。生まれてこの方経験したことの無い事態など、予想できたほうがおかしいのだから。
 返答の代りに、ブランチは閉じたケースを強く握り締めた。
「じゃあ、来年になったら……40になったら来てくれるの?」
「なあ、俺は爺さんがよそに女を囲ってることをすっぱ抜いた男だぞ。旗振って迎えてもらえると思うか」
「卑下しなくてもいいのに」
「してないよ。思慮深いだけで」
「きっともう気付かれてる」
「紳士協定って奴さ」
 再び肌の上を通りだした絹の道のりは、心なしか先ほどよりも安易なように思えた。程よい大きさの尻はもう半分近く隠れ、肌寒さに粟立っていた染み一つ無い肌も平穏を取り戻している。
「口にしたが最後、大噴火」
「一体どうするの。ジョニーと結婚を?」
 喘ぎは涙の代替物だった。彼女は滅多なことで泣き声など漏らさない。その強さを慈しみたいとソロはいつでも思っていた。だが今は耳が馴れ馴れしい呼称を拾い上げて、もどかしさの中に黒い染みを落とす。
「やけに親しいんだな」
「大学生の同窓生だから」
「ハグリー家ね」
 浮かんだ嘲笑を見逃さず、ブランチは頬を紅潮させて振り向いた。静かに燃えて色みを濃くする虹彩に見つめられた途端、今までソロが立っていた場所は途端に均衡を崩し、取り返しのつかない場所へ落下していく。頭では理解しているのに、唇の歪みをとることはどうしても出来なかった。
「今時あるんだな、そんな政略結婚」
「真面目に聞いてる?」
「もちろん」
「どうしたらいいの」
「自分で決めろ。いつでもそうして来たろ」
「そうね。好きなようにやらせてくれたわ。クールに気取って」
 滅多に無い感情の奔流が、塗られたばかりの紅を湿らせる。
「彼と結婚するって言ったらどうする」
「したいのか」
「答えて」
「重大な選択をあてつけで決めるのは賢くないぞ」
「あてつけじゃないわよ。そういう道もあるってだけで」
「どんな道だ?」
 表情筋に浮いた冷たさに引き換え、感情はひたすら臨界点を目指して回り続けている。ただでも寝不足で全身が熱っぽい中、脳みそが浮腫んでいるのではないかと思うほど沸騰し、理性がじわじわと焼き尽くされていく。
「ハグリー夫人になってカンガルーの肉を輸入するのか? グリーンピースのシンパの癖に」
「カンガルーなんか使ってないわ」
「犬の餌なんかみんなカンガルーだよ。オーストラリアまで買い付けに行って三食バーベキュー、アボリジニ雇って女主人か」
「落ち着いてよ。私が聞きたいのは一つだけ」
「いいか、俺は別にカンガルーが嫌いなわけじゃないしおまえがクー・クラックス・クランに寄付してようが文句は言わない。そのジョニー坊やってのも悪い奴じゃないんだろう。だがおまえがそんなブラフで人を試すようなことするから怒るんだよ。おまえだけはそんな下らないことするような人間じゃないって思ってたからだ。奥ゆかしいのは結構、近年稀に見る素晴らしい美徳だな。けど指輪を受け取るようなお付き合いになるまで何も言わないのはどういう了見だ」
「だって貴方、忙しいでしょ」
「忙しくても何でも、言えば飛んでくるさ、こんなとんでもない事態になってるなら。大体今日俺が来なかったら、ずっと黙ってたわけだろ。押し切られたらどうするつもりだったんだ。男は怖いんだぞ。ましてやカンガルーを虐殺する奴が女の服一枚剥ぐのに躊躇すると思うか。絶対しないね! どうしてお前はいつでも自分一人で抱え込もうとするんだ。俺にしなくてもいい、嫌なら友達にでも……」
「結婚すればいいの、しちゃ駄目なの?」
「するな!」


 ぐっと息を詰め、大きく吐き出す。その動作を行う1.5秒の間にブランチが浮かべた表情は怒りだった。静かで、ひたむきで、強くて、全てを包み込むような。そしてソロはなぜか、この表情を見た途端、暴れ狂っていた感情が凪いでしまったのをはっきりと感じていた。
静まり返った情動の上にやってきたのは、らしくもない厳粛な喜悦だった。
「分かった」
 指輪をケースに戻したブランチは、もうはしたない溜息などつかない。身繕いが完了するまで、いつものように茫洋とした瞳で、鏡に映る自らの顔を蔑んでいる。
「最初から断る気だったもの」
 もしかしたら、という疑問はすでに慣れきったもの。別に構わないとソロは思っていた。不幸にして心配が的中したとしても、それは彼女の演技上手を立証する根拠の一つでしかない。第一、まだ操縦桿は彼の手にある。少なくともそう思わせるよう、ブランチは努力を続けている。
「挨拶なんかしなくてもいい」
 立ち上がったソロの顔を見上げ、ブランチは気弱としか表現できない笑みを浮かべた。
「本当に来ない?」
「やめとく。ジョニー坊やを殴りたくない」
 ソロも真似をして微笑んだつもりだったが、結局出来上がったのは似ても似つかない唇の歪みだけだった。
「代わりに奴のホモ疑惑をでっち上げに、今から本社を尋ねるとするよ」
「やめて!」
 笑い声と共に胸を押す手に促されるまま数歩離れる。改めて、自ら飾りつけた美しい姿を鑑賞した。フェンディの黄金色パンプス、すらりと伸びた脚。膝丈で慎ましく終わった若葉色のシルクドレス。開いた胸元の眩しさと、控えめな鎖骨。すっとたおやかな首を囲むように流れる栗色の髪。そして羞恥と困惑が典雅に交じり合った微笑み。似合ってないでしょう? ヘイゼルグリーンの瞳が問いかける。答えはノーだ。何が間違っていようともこれだけは言える。無精ひげの伸びた顎に指を当て、ソロは溜息をついた。 間違いなく女神じゃないか、ここにいるのは。


 掛け時計に視線を走らせれば、タイムリミットを3分過ぎていた。部屋の外にタクシーが待っているのかソロには分からなかった。ましてやブランチが気付いているかなど、あずかり知るものではない。ただ眼の前で羽のように瞬く睫毛は、時を超越してしとやかに、優雅に男を招き寄せていた。