hollow sky streets memory
擬人に特有の心音、消え入るような微かな鼓動を、私の背中が感じとった時、気だるげにもたれかかった、肉体はもう彼女のものではないかもしれない。
離界を覆うように降り続く霧雨は、最近の不安定な気圧下では珍しいことではないが、いつもより叙情的な雰囲気を演出している。メーデーによってヴィラ・アレフ地区の主要な交通機関である、メトロ輸送船、航空機軸、セントアル網が機能していないためかもしれない。
レヴィンワース・アヴェニュー沿いにある庭球場の、プラスチック性ベンチから、大通りの閑散とした人通りを眺めつつ、煙草を吹かしていると、不意に哀愁のような情感、どこにも行き着かず、不正解だという解答も与えられない未来、降り注ぐ雫の一滴一滴の軌道を、決定付ける法則と同類の絶無が彼を取り込んだ。
風邪かもしれない、彼女はその熱く火照った身体を揺すった。思い切り息を吐き出すのを躊躇うような
乾いた咳。なにかの病気の初期症状ではないだろうか?早く病院に行ったほうがいい。明日にでも。
雨脚は弱いが、一向にやむ気配がなく、水捌けの貧困な、アヴェニューのインフラ許容量を上回る天の恵みをもたらしている。大通りが完全に冠水し、即席の細流になるのも、時間の問題だ。そうなれば、帰宅の行程は、かなりの迂回路か、軽めのトライアスロンだろう。事態は、時と共に悪くなる。
とはいえ、前年のような世界的な干魃に比べれば、我々の日常的な水害など、喜んで背負うべき宿命である。水系の循環構造が、破壊されて以降、自然は地球にたいする役割を部分的に放棄させられた。人類が宇宙への夢を捨てざる得なかった理由と質的には同じ問題、自身の同一性を保持するため、アイデンティティーという絶対主観が、選択を拒絶したにすぎない。その答えの一つがこの忌々しい長雨だ。
高台に位置する庭球場からは、南ランシア一帯が望めた。しかし、今日は遠方が霞んで、海岸線と空の境界はとても曖昧だ。雨雲は低く垂れ込めつつも、果てしない奥行きを予感させる。雲の隙間から一筋の光が地を照らす。そうか、この光景そのものが一つの演出、観劇にほかならない
。これは、私、tが犯した罪、今日は血塗られた労働感謝祭、贖罪のために「半身」が用意した舞台、虚構現実、記憶の底に封をしておいた…。彼女は死に追いやった私の使命を、思い起こさせるために。
私は、新たな確信を得て、湖面のような光沢を得たコートを後にする。フェンスの扉が、ガシャンと音をたててしまったとき、軽い目眩とともに確かな地面の感触が、スニーカーの裏から伝わる。それは大地に息ずく万物のこえ、初めて地に立った人間の内なる遺言だ。
私は自らの記憶をなぞるように、
コートを右回りに一周する。柔らかな陽光が、濡れたコートに反射し、澄んだ大気の中に、その輝きを移す。
「それは夢想家の戯言。漠然としたイメージ、幸せな夢。家族で囲む食卓、何者も否定しないし、させもしない。自らに目覚めたaiが、その約束を果たさそうとするとき、なぜ君は彼岸にいるんだ?」
再現。あの日を。私に出来るだろうか。いままで目を背けていた。これからも同じか?一生逃げ続けられるとでも思っているのか?自らを偽るのは易い。しかし、それから?
私には何もない。この世にただ一人取り残されて…。モウ、ヒトリハ…嫌だ。私は彼女を再構成する。例えそれが倫理に反しようとも。
再び庭球場の入口の前に立ち、南京錠を掛けた時、空気が内に向かって震えだした。徐々に大きく歪むノイズが直接脳幹に、任務の発生をしらせる。辺りの気圧がさがり、一陣の風と共に、星ガールが青紫の光を纏ってフェンスの向こう側に
現出した。
「ツヴァイドメーリングの第三思念、<レクセル>が界人統合の衛星
盟約を脱し、等軍のヴェガ駐屯地を、ELの不法パンデムで消滅させた。密印は、この事態を、LA5のパンデミックに繋がる可能性があると指摘している。
我々、造物局は、これを期にヴェガに巣つ食う尋社を駆逐し、界人連合への聴議権および、Tsアクセス権をツヴァイドより奪回する。」
「君は、そのまま更生プログラムを続け、レーゾンを獲得次第、アレフ直属の監査委員会と行動を共にしたまえ。主の御加護を祈る。」
街路は静謐の擬人、湖面のように穏やかな目の色にtは諦念の闇をみる。
初めてその藍色の瞳を見たのも、さっきのような,緩慢な降雨の日だった。新青のサイゴンミュージアム、彼女は舞台関係者を名乗り、セントの喜劇に出演した俳優マーナに過重暴行を働いた。私もマーナの演ずる向きロバの行状には、やるせない怒りを感じていたので、目前で起きたこの事件には被告側証人として尽力した。結局、マーナの基幹部位が再生不能であると判明したため、沙汰闇になったのだが。
20 75 85 新軌道時刻、
18時154分、スターガールの半身現出から200時間後、tは造物局の更生プログラム冠者において、大部俗園軌道s4ターミナル,新青のミュージアムを再現し始めた。
幕内の小休止の際に行われた蛮行、マーサ傷害事件は、マンダレー一座を混乱と怒りの渦の中におき、演目の続行は不可能となった。この度の失敗で結果的に、一座は解散し、一部は、恒星間巡業をなす劇団に吸収された。
事件の当事者である街路は、悪びれるわけでもなく、淡々とした口調で、法廷の端末aiに事件の経緯を語る。
私はその傍らで野次馬の一人として聞いていた。数ヶ月前、聖誕祭前夜マーナが彼女の同型である原始プールという擬人を、暴行の末にその身体系域を犯したと彼女は告発した。
この忌々しい事件の背景を知った群衆は、自らの擬人に対する認識が、マーナ寄り偏見を多分に含む物であると証明しようとした。tは彼女を大衆の暴力の嵐から遠ざける必要があった。私と協力者は秘密理に彼女を、後林郊外のモーテル、ラブィアンに移動させ、恒常法廷に私を代理とし仲裁手続きの申請を行うことにした。mabiはこの事件は判例上前代未聞のケース、擬人に人権が何処まで認められるかを問うていたため、裁判開始まで相当な期間がかかるという見解を示した。
「人は、本能的に恐れている。人が人を仮構する時、同時に創造主が我々に代わりうる何かを産み出してしまうのではないのかと。宇宙でも、人は他者を受け入れる用意がないのだから。」
tの誰にともなく呟いた言葉に、街路は、深い井戸の底から反響しているような多重音程で慟哭のような笑声を立てる。
「進化とは、人の手を離れて営まれる。テラに命が始まった頃のように。人も造物の一つなのよ。
」
そして、我々は宇宙に登った。
作品名:hollow sky streets memory 作家名:personal jm