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サルバドール
サルバドール
novelistID. 32508
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いつか見た風景・第21章

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恐ろしく高いビル群が地面から伸びて天を衝いている。まるでコンクリートで塗り固められた密林のようだ。その間隙に見えているのは恐らく富士の山で、山の稜線とその周りだけがほんのりと赤く、そこから上へ行くに従って、紫、淡いブルーと鮮やかなグラデーションを描いている。夜が明けて地平線の彼方から太陽が昇った。それは空の頂に張りついて光を撒き散らし、流れる雲を、そして、ビルの表面に嵌め込まれた幾つものガラスを、目も覚めるような金色に輝かせた。俯瞰すると、街全体が金色のベールに包まれたかのようだった。浦澤はその美しい瞬間を見ることができなかった。光の射さない場所で目を覚ましたからだ。浦澤は都内のネットカフェで一夜を過ごした。あのゲートを越えて外へ出てから真っ先に向かったのがそこで、衝立で仕切られた暗い部屋で夜を徹して調べ物をしていたのだった。この国の政府が情報を統制しているせいで得られる情報には限りがあったが、それでも、それなりの収穫はあった。はっきり分かったことは、この世界が浦澤の居た世界とはまるで異なるということ。特筆すべきなのは、その政治形態と社会構造である。この国は経済的には西側の自由主義体制の中にあるが、政治的には極右勢力による一党独裁の下に支配されており、その統治手法は極右だけあって全体主義的な側面が強い。西側某国の或るオピニオン雑誌が論じたところによれば、この国の現政権は、かつてのナチスドイツを彷彿とさせるような優生学的な思想に基づいて、世界史上、他に類を見ない超格差社会を築き上げた。そのシステムは人間を序列化するという極めて前近代的なもので、国内における個人間の格差は隣国の中華人民共和国のそれを遥かに凌ぐと言われており、この東京23区内だけでも、等級による人民の棲み分けが著しい。浦澤は、そこまでの情報を精査しながら、あの廃墟のような街を頭に思い浮かべた。あの街は、超格差社会のもたらした、この世の地獄だ。“廃人街”と呼ばれるゆえんは、もしかしたら、そこにあるのかもしれなかった。

ネットカフェを出て、朝焼けに眠る、静かな街を歩いた。視界に映るのは、天を衝く超高層ビル群や縦横に走るチューブのような道路ばかりである。すべてが均一的で、まるで、ミニチュアの街のようだが、その隙間を蟻のように蠢く人間たちもまた例外ではない。着ている服も、履いている靴も、そして、その表情でさえも、絵に描いたように均一的だ。村川が言っていたことは本当だった。外の街も大して変わらない。こいつらのうち誰か一人が死んでも、誰も困らないだろう、と浦澤は思った。シャッターの閉まった商店街を抜けて、幹線道路に面した広い交差点に出ると、途端に街の喧騒が激しくなった。交差点はいわゆる“スクランブル交差点”と呼ばれるもので、縦、横、斜めに横断歩道が走り、その上を、様々な人間たちが悠然と歩いていた。浦澤は人垣の流れに任せるまま歩いた。道路の中ほどまで歩いた時に誰かと肩が当たった。白いワンピースを着た、長い髪の女だった。女は雨でもないのに赤い傘を差していて、口の端を歪めながら、赤い雨が降るの、と意味の分からないことを言った。女の方をずっと見ていると、どこかから怒声が聞こえてきて、浦澤は後ろから尻を蹴り上げられた。馬鹿野郎、そんなとこに突っ立ってんじゃねえよ。顔を上げると、もう女はいなかった。上空に傘が舞い上がるのを、視界の端に捉えただけだった。それを見て、浦澤は妙な胸騒ぎを覚えた。以前読んだある本に、“赤い傘を差した女は凶事の象徴”である、と書かれていたからである。傘は地面に落ちた瞬間、顔中にピアスを刺した若い男に思い切り蹴飛ばされた。それは横断歩道の外、つまり、車道の上に弾き出されて、一台の車の前で止まった。厳めしい装甲に覆われた、軍用車だ。赤い傘はその車両のキャタピラーの前に、まるで、進路を妨害するかのように転がっていた。顔中にピアスを刺した若い男は、そんなことなどお構いなしと言わんばかりに、その前を素通りしようとした。しかし、それは結果的には適わなかった。浦澤が横断歩道を渡り切ろうとした時、背後で乾いた音が鳴り響いた。それは明らかに銃声だったが、都会の喧騒に塗れて単なる雑音にしかならなかった。浦澤は後ろを振り返った。そうしたのは彼だけだった。地面を踏み叩く群衆の足の隙間に何かが見えた。人間の手だった。地面に投げ出されたそれを、いくつもの足が踏んでいった。やがて、群衆の波が引き、若い男の死体だけが残った。男は額を撃ち抜かれて空を睨んでいた。信号が赤から青に変わって、停まっていた車が次々と動き出すと、男はまた見えなくなった。側面に卍マークを掲げた軍用車が拡声器で何やら叫びながら、キャタピラーで路面を踏み叩いた。ぐちゃっという音がした。それは、何か柔らかいもの、例えば、トマトのようなものが潰れるのに似ていた。実際そうだった。男の頭はキャタピラーに巻き込まれ、潰れたトマトみたいに見るも無残な形に変えられていた。道路の真ん中に赤黒い斑点のようなものがぽつんと浮かび上がって、ゆっくりと拡がっていったが、誰もその方を見ようとはしなかった。この街は、と浦澤は思った。この街は俺の居た街とは違う。しかし、本質的なところは同じだ。浦澤は踵を返すと、聳え立つ高層ビル群に向かってゆっくりと歩き始めた。