いつか見た風景・第21章
ネットカフェを出て、朝焼けに眠る、静かな街を歩いた。視界に映るのは、天を衝く超高層ビル群や縦横に走るチューブのような道路ばかりである。すべてが均一的で、まるで、ミニチュアの街のようだが、その隙間を蟻のように蠢く人間たちもまた例外ではない。着ている服も、履いている靴も、そして、その表情でさえも、絵に描いたように均一的だ。村川が言っていたことは本当だった。外の街も大して変わらない。こいつらのうち誰か一人が死んでも、誰も困らないだろう、と浦澤は思った。シャッターの閉まった商店街を抜けて、幹線道路に面した広い交差点に出ると、途端に街の喧騒が激しくなった。交差点はいわゆる“スクランブル交差点”と呼ばれるもので、縦、横、斜めに横断歩道が走り、その上を、様々な人間たちが悠然と歩いていた。浦澤は人垣の流れに任せるまま歩いた。道路の中ほどまで歩いた時に誰かと肩が当たった。白いワンピースを着た、長い髪の女だった。女は雨でもないのに赤い傘を差していて、口の端を歪めながら、赤い雨が降るの、と意味の分からないことを言った。女の方をずっと見ていると、どこかから怒声が聞こえてきて、浦澤は後ろから尻を蹴り上げられた。馬鹿野郎、そんなとこに突っ立ってんじゃねえよ。顔を上げると、もう女はいなかった。上空に傘が舞い上がるのを、視界の端に捉えただけだった。それを見て、浦澤は妙な胸騒ぎを覚えた。以前読んだある本に、“赤い傘を差した女は凶事の象徴”である、と書かれていたからである。傘は地面に落ちた瞬間、顔中にピアスを刺した若い男に思い切り蹴飛ばされた。それは横断歩道の外、つまり、車道の上に弾き出されて、一台の車の前で止まった。厳めしい装甲に覆われた、軍用車だ。赤い傘はその車両のキャタピラーの前に、まるで、進路を妨害するかのように転がっていた。顔中にピアスを刺した若い男は、そんなことなどお構いなしと言わんばかりに、その前を素通りしようとした。しかし、それは結果的には適わなかった。浦澤が横断歩道を渡り切ろうとした時、背後で乾いた音が鳴り響いた。それは明らかに銃声だったが、都会の喧騒に塗れて単なる雑音にしかならなかった。浦澤は後ろを振り返った。そうしたのは彼だけだった。地面を踏み叩く群衆の足の隙間に何かが見えた。人間の手だった。地面に投げ出されたそれを、いくつもの足が踏んでいった。やがて、群衆の波が引き、若い男の死体だけが残った。男は額を撃ち抜かれて空を睨んでいた。信号が赤から青に変わって、停まっていた車が次々と動き出すと、男はまた見えなくなった。側面に卍マークを掲げた軍用車が拡声器で何やら叫びながら、キャタピラーで路面を踏み叩いた。ぐちゃっという音がした。それは、何か柔らかいもの、例えば、トマトのようなものが潰れるのに似ていた。実際そうだった。男の頭はキャタピラーに巻き込まれ、潰れたトマトみたいに見るも無残な形に変えられていた。道路の真ん中に赤黒い斑点のようなものがぽつんと浮かび上がって、ゆっくりと拡がっていったが、誰もその方を見ようとはしなかった。この街は、と浦澤は思った。この街は俺の居た街とは違う。しかし、本質的なところは同じだ。浦澤は踵を返すと、聳え立つ高層ビル群に向かってゆっくりと歩き始めた。
作品名:いつか見た風景・第21章 作家名:サルバドール