慟哭
人生とは実に残酷である。
僕はそのコトを本日思い知らされた。またしても、であるが、打ちのめされた。だが不思議と冷静ではある。泣きはしていない。恐らく覚悟はできていたのであろう。
「ヤバいコトになった」
そう聞かされたのは約半年前。なんのコトだかさっぱり分からず次の言葉を待った。
「頭痛の原因が分かったんだ」
「それのどこがヤバいの」
「最後まで聞いてくれ。落ち着いて聞いてくれよな」
「よく分かんないけど……いいよ」
ほとんど軽い気持ちでしかなかった。いつも僕は聞き役だから。それは相手が誰であろうと変わらない。
「脳腫瘍だって。しかも手術はできないんだってさ」
絶句するしかなかった。だがアイツは飄々とした口調で続ける。
「とりあえず抗がん剤らしいんだ。小さくなれば頭痛も軽くなるみたいでさ。まぁ、副作用が強いってのはよく聞くけど、それしか手がないみたいだし。仕方ないよな。諦めさえしなけりゃいいんじゃない?」
「……そ、そうかもね。もう入院?」
「今準備中。よく分かんなくてさ。お前入院慣れしてるから教えてもらおうと思って」
「慣れるもんじゃないけどね。いいよ。手伝うよ」
「悪いな。じゃあ、来てくれよ」
電話は切れた。僕は携帯を握り締めたままだった。冗談だろ。そう思いたかった。でもアイツには裏表がない。嘘などつける奴じゃない。ましてやこんな。
あれはいつだったろう。仕事が終わり、携帯を見ると着信があった。アイツからだった。もう消灯時間かなと思いながらもかけてみる。入院してから着信なんて一度もなかったから。
「どうしたの」
「聞いてくれよ。腫瘍が小さくなったんだ」
「マジで!? 凄くない?」
「だろ? 諦めなきゃいいコトあるんだって」
「そうだね。このままやっつけちゃおうよ」
「もち、そのつもり。見回り来るといけないから切るな」
「うん。おやすみ」
僕は小躍りしてガッツポーズ。
これに安心したか、それからというもの僕は仕事に励んだ。お見舞いもメールもしなかった。お見舞いがどれほどの威力があるかを知っていたにもかかわらず。それが取り返しのつかないコトになるなんて。僕は浅はかだった。
朝五時、いつもより一時間早いけれど寝ようとした時だった。アイツから着信。
「おはよう。ごめん。メールもしなくて。あれからどうなったの」
「……朝早くにごめんなさいね。○○の母です」
嫌な予感がした。手が汗ばむ。
「初めまして。△△と申します。アイツは……」
「先程危篤に。今夜が峠ですって」
「そんな……。僕、今日は用事があって行けそうにも……」
「いいのよ。あの子のコトだから、道草くってるのよ」
「だといいんですけど……」
「また連絡するわね。驚かせてごめんなさいね」
「……失礼します……」
どうして? 僕がお見舞いに行かなかったから、怒ってるの? そんな僕を試すような真似しない奴だろ? 起きるよね? 起きてくれるよね? 起きてくれるさ、アイツなら。
そう願って僕はいつも通り睡眠薬の力を借りて眠りに就いた。
目覚めたのは八時半。いつもの半分しか眠れなかった。朝食を摂るも落ち着かない。洗い物をするも落ち着かない。執筆は進まない。僕は電話をかけまくった。捕まえた奴全員にアイツの話をする。無作為に選んだのに全員アイツを知らない奴ばかり。
とっとと用事を済ませよう。そうはいかない用事なんだけど。
予定より早く目的地に着いてしまった。困った。するコトがない。煙草吸うにも禁煙地区。とりあえず散歩。
一時間半潰した。でもまだ一時間半ある。喫煙席のあるカフェに行くコトにする。煙草を吸いながら、とりあえずパソコンを立ち上げて執筆開始。
一時間が限界だった。あと三十分か。また携帯をかけまくった。捕まったのは一人。大の親友だった。ごめんと思いながらもアイツの話をした。
用事を済ませて帰宅したのは二十二時過ぎ。なんの音沙汰もなし。もしかして「良い知らせ」ってやつかな。勘違いだったんだけど。
お風呂も入り、家族が寝静まった。日付が回り、僕の時間だ。パソコンを立ち上げようとした時だった。携帯が鳴った。アイツからだ。お目覚めかな。
「寝ちゃったわ、あの子。おやすみもなしよ。でももう頭痛に悩まされるコトもないのよね。親を置いてきぼりにするなんて、あの子ったら」
「……そうですか。明日の予定は?」
意外と僕は冷静だった。淡々とした会話。何度も頷いて電話を切った。これは現実感が希薄な証拠なんだろうか。違う気もするけど。受け止めきれないわけでもない。恐ろしいほどまでに冷静。そういえば祖父ちゃんの時もそうだった。後から熱出したっけ。気を張り過ぎてたんだな。今回もそんな気がする。そんな必要なんてないはずだけど。
人生ってやつは僕から色々と奪っていく。美しいものを全て破壊していく。どれだけ踏みにじって、どれだけ木端微塵にすれば気が済むんだ!! 僕は滅茶苦茶にされてばかりじゃないか!! なんなんだよ。ここ数年僕の周りはどうもおかしい。磁場が狂っている。僕がズッコケてから調子が悪い。得るものが多かったにもかかわらず、現実が音を立てて過去を瓦解する。耐え切れられない。僕は世界一不幸だとは思わないけれど、何かが起こっているとしか思えない。
電話を切って庭で立ち尽くしながらそんなコトを考えていたら、口をついて出てきた言葉があった。
「神様のちくしょうっ!!」
虚しくリフレイン。涙はなし。
そして僕はアイツのデータを全て消した。