終わらない僕ら
【6】 YUKIYA−回想−
中1の初夏、大好きだったばあちゃんが死んだ。
身近な人の死に直面したのはその時が初めてで、僕は戸惑い、泣くことすらできずにいた。
昨日まで息をし、言葉を交わしていたばあちゃんが、今はもう動かない。
真っ白な布団に横たえられたばあちゃんは、ただ眠っているかのように穏やかなのに、二度とそのシワくちゃで優しい顔が僕に微笑みかけてくれることはない。
頬に触れたら冷たかった。蝋のように固かった―――。
学校を休んで葬儀に出席したその日の夕方、親友の要が家にやって来た。
宿題のプリントを届けに来てくれたようだけど、なんとなく、それだけじゃないような気がした。
「要はもうプリントやったの?」
「うん、もらって即効片付けた」
「さっすが! 見せて!」
僕は勉強机にプリントを広げ、要が埋めたプリントを見ながら、自分のプリントに答えを書き写していった。要はその間、机の右側にあるベッドに横たわり、近くにあった漫画雑誌をパラパラとめくっている。要との間に流れる沈黙はわりと苦じゃない。むしろ心地良いというか、気の知れた相手だからかこういう時間も嫌いじゃなかった。
「要、終わったよ。ありがとう」
十分もかからずにプリントを写し終えた僕が要の方へ顔を向けると、いつの間にか彼は横たえていた体を起こし、どこか寂しそうな表情で僕を見ていた。
「ユキ、ここに座って」
要が自分の左隣に座るよう僕を促す。なんだか彼が怒っているようで、僕は恐る恐るベッドへ向かい要の隣に座った。
「どうしたの?」
「ユキこそどうした?」
「え・・・?」
要が不機嫌そうにする理由が分からず、僕はキョトンと彼を見る。
「普段のお前なら、今頃目を真っ赤にして泣いてるハズだろ?」
―――あぁ、そうか。要は葬儀の後だというのに、僕が泣いた形跡すらなくケロッとしていたから不自然に感じたのだろう。
そう。今日はばあちゃんの葬儀だった。ばあちゃんと最期の別れをし、ばあちゃんの小さな体は、少しばかりの白い骨に変わった・・・。
「・・・ばあちゃん、オレの笑った顔が好きっていつも言ってくれてたから、ばあちゃんの前では笑っていようって思って・・・。でも、笑えなかった・・・ばあちゃんがいなくなっちゃうなんて思わなくて・・・もういないなんて信じられなくて・・・。笑うことなんてできなかった・・・」
ばあちゃんが死んでから、いや、ばあちゃんが入院してどんどん衰弱していく姿を見るようになってから、僕はずっと、胸に湧き上がる悲しみと恐怖を必死に打ち消してきた。ばあちゃんがいなくなるかもしれない・・・。その迫り来る現実を受け入れたくなくて、涙さえ拒絶した。泣いてしまったら、全てを認めてしまうような気がしたんだ・・・。
「そっか・・・偉かったな。ばあちゃんにはきっと、お前の笑顔がちゃんと見えてるよ。ばあちゃんといる時はいつも笑ってたんだろ? だったらばあちゃんの記憶ん中はお前の笑顔でいっぱいだ。きっと幸せだった。―――ユキの大好きなばあちゃんが旅立ったんだ。もう、泣いていいんだよ・・・」
要の口調はとても静かで温かくて、僕の冷えた心をじんわりと溶かしていく。要の手が僕の頭を優しく撫でた途端、僕は堰を切ったように泣きじゃくってしまった。声にならない嗚咽で息が苦しい。
ずっと我慢していた。ホントはずっと泣きたかった。どんなに惨めでもいいから、ばあちゃんの体にすがり付いて、「行かないで!死んじゃ嫌だ!」と泣き喚きたかった。でも。
「ばあちゃん・・・に心配掛けたく・・・なかった・・・っ。安心して・・・天国行って・・・欲しくて・・・っ」
しゃくりを上げながら声を絞り出す。要は僕の言葉に小さく頷きながら、背中をさすってくれた。その手が、ふいに僕の肩を引き寄せ、僕は要の胸に顔をうずめた。要のワイシャツ越しに、体温が伝わる。
「うん、ばあちゃんは安心して天国行けたよ。よく頑張ったな・・・」
囁くような声が頭上から降ってくる。その声があまりにも優しくて、要に諭される度に涙が溢れ、僕はしばらくの間泣き続けた。
「要・・・なんで人は死んじゃうんだろ・・・なんで別れなきゃいけないんだろ・・・? いつか必ず別れが来るなら、オレ・・・誰とも出逢いたくない・・・」
どれくらい時間が経ったのだろう。いつの間にか部屋の中はすっかり薄暗くなっていた。
ひとしきり泣いた僕は、要にずっと体重を預け寄りかかっていた事を思い出した。
「ごめん!」
慌てて体を起こし謝ると、要のシャツが僕の涙で濡れていることに気付く。
「あー・・・」
「たいしたことないよ」
「でも、たぶん鼻水も・・・」
「あぁ、間違いなく鼻水もついてるだろうな」
さして気にしている様子もなく要が笑う。
「なぁユキ、さっきの話だけど・・・」
「さっきの話?」
ティッシュで涙と鼻水を拭きながら間の抜けた返事をすると、要は少し声のトーンを落として口を開いた。
「いつか別れるなら誰とも出逢いたくないって話。それじゃあユキは、俺と出逢わない方が良かった?」
「そんなこと絶対ないっ!!」
全力で否定たら、思わず声が大きくなってしまった。そんな僕を見て、要は「良かった」と顔をほころばせる。
「別れる寂しさも、出逢う喜びも、出逢わなければ生まれない。人は出逢うことで成長し、色んな感情を学んで、心を豊かにしていくんだ。少なくとも俺は、雪弥に出逢えて良かったと思ってるよ。俺を形成している感情の大半は、お前が教えてくれたものだし・・・」
「オレが・・・? オレ何もしたつもりないけど・・・」
まったく身に覚えがないと首を傾げると、「ユキは知らなくてもいい」とやんわりかわされてしまった。
「出逢いの喜びが大きいほど、別れも辛くなる・・・。ホント、なんで別れなんてあるんだろうな・・・。いつか俺たちも―――」
「それはない!」
要の言葉を遮って、僕は強く言い切った。あっけに取られたような顔で要が僕を見る。
「・・・・・・え?」
「ないよ。オレたちに別れなんてない」
根拠なんてものはないけれど、否定せずにはいられなかった。要の口から、弱気な言葉なんて聞きたくない。要はいつだって、僕のヒーローなのだから。
僕がいつになく真面目な顔で話しているというのに、あろうことか要は横で吹き出していた。
「すっごい自信だな。ま、ユキのことだからどうせ何の根拠もないんだろうけど」
当たってる・・・。やっぱり要はすごい。要の前では、きっと隠し事なんて通用しないのだろうな、とぼんやり思う。
「あーぁ、ウサギみたいに目を真っ赤にしてベソかいてるお前を、からかいに来たつもりだったのになー」
要が大きく伸びをしながらベッドに倒れ込んだ。そんな要を横目に、僕は立ち上がって部屋の電気を点けた。あまりの眩しさに目を細めつつ、心の中で『うそつき』と呟く。要は、僕が泣けなくて苦しんでいることを分かった上で、ここに来てくれたに違いない。普段僕は鈍い方だけど、不思議と要の優しい嘘は見抜けてしまうんだ・・・。
(うそつき・・・。ありがと)
照れくさいから声には出さなかった。でもきっと要には届いている。漠然と、そんなことを思う。