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サルバドール
サルバドール
novelistID. 32508
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誰が俺を殺したか

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2011年3月10日、俺は死んだ。腹部をナイフでメッタ刺しにされたことによる失血死だった。やったのは女だ。だが、誰がやったのかまでは思い出せない。俺の周りには、仕事上のコネクションを含めても、100人以上の女がいる。途方もない数だが、考えられる線としてはそこしかない。その中の誰かがやった。そいつが白昼堂々、俺をメッタ刺しにして殺したのだ。それは確実だ。あちらに旅立つ前に、俺はその誰かを突き止めなくてはならない。それが、俺がこの世で行使できる最後の権利なのだから。

自分の死に不服がある場合は確かめても構わない。そう言われたので、俺は死神のジジイに魂だけを過去の世界に飛ばしてもらった。行き先は3時間前の俺の部屋、そこを起点として俺は死の階段を昇り始めたわけで、生前の曖昧な記憶と過去の世界の出来事とを突き合わせながら、死の原因を突き止めなければならなかった。

その日はいつもと変わらぬ朝だった。いつもの光景がそこにはあった。玄関の下駄箱の上には洗濯物を詰め込んだ紙袋が置いてあったし、リビングのテーブルの上にはサランラップのかけられたビーフストロガノフが手つかずの状態で放置してあった。ただ一つ違うところがあるとすれば、女が来ていたことだ。ベッドの上では、俺と女が、全裸ではなく、パジャマ姿で眠っていた。女はエミという名前の、俺の会社に所属しているAV女優だったが、そいつは、洗濯物を詰め込んだ紙袋を持ってきたわけでもなければ、ビーフストロガノフを作ってテーブルの上に置いたわけでもなかった。ただ、俺の横で眠って朝を迎えたというだけだ。

朝の10時頃、ベッドから身を起こした俺は、眠っているエミにシーツを被せてやり、コートを翻して寝室を後にした。そして、テーブルの上のビーフストロガノフにも、下駄箱の上の洗濯物にも目をくれず、部屋を出たのだった。生前の俺が向かったのはカオリという女のマンションだ。カオリは六本木のクラブに勤めている女だが、俺が囲っている女の一人では決してない。俺が時間と金を使うことを躊躇わないただ一人の女で、AVの仕事以外では唯一、肉体関係のある女だ。その日はカオリの誕生日で、彼女の部屋で一緒に過ごす予定になっていたのだった。

女の家がある麻布に着いたのは12時過ぎだった。麻布十番駅から出た俺は、女の家を目指して歩き出した。その後を、霊魂である俺が追いかけた。生前の俺は、携帯を開いてメールを打ちながら、お洒落なオープンカフェや老舗の菓子屋が軒を連ねる歩道を進んでいた。霊魂の俺は肩越しに携帯を覗き込んだ。時刻は12時27分。あと3分で俺は殺されてしまう。その光景を見るのは嫌な感じがしたが、殺されるとも知らないでメールにうつつを抜かしている自分を見るのも嫌だった。この後、俺はどんな顔をして死んでいくのだろう。霊魂となった今では、それは滑稽なものとして映るに違いない。

しばらくすると、前方からトレンチコートを羽織った髪の長い女がやってきた。時刻は既に12時半になっているから、あの女が犯人と見て間違いはないだろう。だが、顔を見ても、そいつが誰なのか思い出すことはできなかった。一体誰なんだろうと考えながら見ていると、女と生前の俺が擦れ違い様にぶつかった。生前の俺はその場に立ち尽くしたまま動かないでいる。刺されたのだ。回り込んでみると、腹に深々とナイフが突き刺さっていて、女が柄の部分を小さな手でしっかりと握りしめていた。女がナイフをゆっくりと引き抜くと、生前の俺はその場に仰向けに倒れた。その上に女が馬乗りになり、再度ナイフを突き立てようとした瞬間、俺は実体のない手でその手を掴んだ。

「待てよ」

俺は女の心に語りかけた。現実では、この後すぐに俺はメッタ刺しにされたのだったが、その瞬間だけは時が止まったようになった。

「お前、一体、どこの女なんだよ?」

女はナイフを持った手を振り上げたまま、蝋人形のように静止していた。霊魂が生きている人間と交信するのは映画やドラマの世界だけということなのだろうか、女からの返事は全くなかった。それでも俺は女の心に訴え続けた。

「おい、聞いてんのか? お前は誰だって聞いてんだよ」

「……」

「答えろよ」

「……」

「俺はここでお前に殺されて死ぬ。その歴史を変えることはできないし、お前に対しても特に恨みはない。ただ、俺は知りたいんだ。何で俺が殺されなければならなかったのかを」

深い沈黙の後、女がやっと心の門を開いた。

「私ね、料理が得意なの。そんな私をあなたは誉めてくれた。料理上手だね。僕のために毎日料理を作ってくれないかって」

その言葉で俺はすべてを悟った。テーブルの上に放置したビーフストロガノフが脳裏に甦った。

「お前、料理の女か……」

僕のために毎日料理を作ってくれ。そんなことを言ったことがあったかもしれない。だが、どんな女にそれを言ったのか思い出せないし、そもそも、そんなことを言ったのかどうかさえも分からない。

「どうして……どうして、俺を殺そうと思ったんだ?」

洗濯女に殺されようが、掃除女に殺されようが、料理女に殺されようが、そんなことはどうでもよかった。重要なのは動機だ。どうして殺さなければならなかったのか。そこだけを聞ければ十分だった。女は答えた。

「私ね、あなたのために毎日、毎日、料理を作ったの。いっぱいいっぱい作って、いつもリビングのテーブルの上に置いといたの。だけどね、あなたは一度もそれを食べてはくれなかった……だから」

「だから?」

俺は恐る恐る訊ねた。

「……だから、殺そうと思ったのか?」

「……」

「まさか、それが理由か?」

女は答えなかった。答えないことが答えとでも言っているかのように、深い沈黙を貫くのだった。俺にとってそれは残酷な事実であると同時に滑稽な事実でもあった。

「そんな……そんな理由で俺を……」

笑いが込み上げた。全身の力がサーっと抜けていって、激しい笑いがこぼれるのが分かった。俺は笑うに任せた。笑うしかなかった。笑うことが残酷な事実から目を逸らす唯一の方法であるかに思えた。震えながら笑っていると、やがて、女の声が聞こえてきた。

「どうしておかしいの?」

「……おかしいからさ」

実際、おかしかった。そんな理由で殺されなければならなかった自分が馬鹿みたいに思えたからだ。

「お前という女は最高だよ」

俺はもう一人の俺を見下ろして、壊れたラジオのように笑った。仰向けに倒れたもう一人の俺は、苦悶の表情を浮かべてこちらを見上げていた。どうしてこんな目に遭わなければならないのか、どうしてこんな痛い想いをしなければならないのか、その顔はそんなことを物語っているようで、酷く滑稽だった。自分のことながら、こんな奴には生きている価値はないと思った。早く死んでしまえばいいのにと思った。

「もういいよ……」

俺は笑いを抑えながら、女に言った。

「殺したきゃ殺せよ。それでお前がすっきりするんならな」

「……」

「俺はもう十分生きた。思い残すことは何もない」
作品名:誰が俺を殺したか 作家名:サルバドール