夢の運び人8
夢の運び人は、足下で寝ている女性を見ていた。歳は二十歳くらいだらうか、頬に涙が通った跡がある。
アパートの部屋は荒れていて、服が散らかり、机の上には二人の男女が笑顔で写った写真が引き裂かれていた。
夢の運び人の目に、本棚のある本が目に止まった。タイトルは『パープルラブ』とある。
夢の運び人は視線を女性に落とすと、大きな袋から夢を一つ女性に入れた――
――私は今日、彼に別れを告げた。
不本意だった。私は彼の事が好きだったから。
でも言うしかなかった。だって彼が悪いもの。浮気なんてしたから……
私は彼の部屋にいた。手にコンビニの袋を下げて。
彼は知らない女と寝ていた。驚いた顔で言った。
「こ、これは……その……」
口ごもる彼を見て私は手の袋を投げつけた。それは女に命中して、怒った女は服を着て私に言った。
「彼、楽しんでいたわ。残念ね」
怒りより前に私は泣き崩れた。女は私を冷ややかに笑い、彼に言う。
「二度と会う事はないわ。さようなら」
「お、おい。ちょっと待っ……」
彼の言葉を待たずに女は部屋を出て行った。
「ご、ごめん。昨日友達と飲みに行って、それで――」
「聞きたくない!」
その時、私の心は女に対する怒りと彼に対する憎悪しかなかった。
彼は服を着て、顔を覆って泣いている私の前に座った。
「私……あなたの事信じてた。信じてたのに……なんで?」
掠れた声が喉を伝う。
「ごめん……本当にごめん」
彼の声も掠れていた。ふと顔を上げると、彼の頬に涙が伝っていた。
私の心は揺らいだ。別れるしかないと思っていた心が振り子のようにぐらついた。
「お願いだ。もう二度とこんな事はしない。許してくれ……」
彼の顔を見て私は思った。許してはならない、と。
「別れよう……」
私は今日、彼に別れを告げた。酷く後悔しながら――
――夢の運び人は目覚めた女性を見ていた。
女性はベッドで少し泣いて、本棚から一冊の本を取る。
本をぱらぱらと捲り、最後の一行を見て女性は急に立ち上がった。運び人は驚いて、びくりと身を引く。
本のページを開いたまま机に置いて女性は部屋を出た。
それを見送り、運び人は開かれたままの本を覗き込む。一行でこう書かれていた。『自分の経験は後悔すべき事か?』と。
夢の運び人は首を傾げて静かにどこかへ消えて行った。
夢の運び人は今日も人間に夢を運ぶ。その夢が良い夢なのか、悪い夢なのかは人間に選ぶ権利はない。