かがり水に映る月
04.夢見る吸血鬼の素顔は鏡に映る?(1/4)
「(どう見ても、アレの痕だよな)」
半日ほど意識を失っていただろうか。起きぬけ、洗面所の鏡の前で英人はぼんやりと立ち尽くしていた。
首筋に刻まれた二つの傷跡を鏡に映して、ずっとにらめっこしている。「うーん」とうなる声は、部屋にいる月にも聞こえていることだろう。
手でそっと触れてみる。まったく痛みはない。そういった傷の直接的な痛みよりも、むしろふらつきのほうがひどかった。
立っているのが辛い。今も、英人は壁にもたれかかってはまた立ち、辛くなってはもたれかかりを繰り返している。
痕は、虫さされとは違い腫れていない。かゆみもない。そして、ただ単純に噛んだだけのものでもない。
「……信じるしか、ないのかなあ」
我ながら、往生際の悪いことで――心中ため息をつく英人だった。
「わかってくれた? っと」
部屋に戻るなり、月が興味深そうに駆け寄ってくる。声色は割と明るかった。返事をしようとしてよろめいた英人を、とっさに支える。
力をまったくこめていないのが英人の目に映り、ああ、腕っ節で勝負するのだけはやめておこうと肝に銘じた。
とはいっても、口でだって勝てなかったのだが。
「まあ、でも」
「まだ納得いかないのね」
言いながら、頬を不満そうに膨らませる月。力の強さと時折のぞく尖った八重歯を見なければ、人間となんら変わりない。
今だって、彼女は英人をなんとか納得させようと案を考えながら頭を掻いている。
同時に唇をとがらせるさまが、真が機嫌を損ねた時によく似ていた。
「ま、血を吸わせてはもらうとして。あとは、私が恋人であればいいのよね?」
言いながら、軽く押しのけるように英人を支える手を離す。
予想外の行動によろけた英人が体勢を立て直した時にはもう、月は行動を実行していた。
「おいっ!! 何してるんだよ!!」
必死に相手の手にあるものを取り上げようとするが、それに抵抗して彼女は腕をぴんと上に立てる。
英人の身長は百六十七センチ。対して、月の身長は真と同じくらい――同じとするなら、百七十五センチ。
その差は大きかった。取り上げようとしても、ふらりとかわされてしまう。
「邪魔しないで」
「話を聞けって言ってるんだよ! どこから出してきたそのハサミッ!!」
「机の上に」
「置け!」
「いやよ」
事の進まないやりとりが続く。月は何を思ってか、ハサミを手に自分の髪を乱雑に切り始めたのである。
ひとかたまり手にまとめては、横に一閃。腰を過ぎる長い髪が、ばさばさと床に落ちていく。
取り合っている間も、隙を見ては髪を切っていく月。がたつきはあったが、長さは脇に届く程度に固定されていた。
気でも狂ったのか、こいつ。
必死に、逃げる月を追いかけながら英人は気が遠くなった。とにかく、あのハサミを取り返さなければ。
「危ない」
「え」
「無理するわね、英人。しばらくまともに動けない程度には吸ってあるはずなのに」
よろけた。
それを、月が受け止めた。ハサミを安全な方向へ投げ出して。
一連の流れを英人が理解するのに、数秒を要した。くらりと揺れる視界とこみあげる気持ち悪さ。
蜃気楼のようにたゆたう世界の中で、自分を月が抱きとめたまま真剣な面持ちで見つめていた。
心配しているのではなく、もっと別の――決意の面持ち。
「あれ」
英人の調子が落ち着いた事を確認してから、月は部屋の一角を指さした。