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エゴイスト達のシグナル 1

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オープニング





もしも、奇跡が起こって……君にもう一度会えるのなら。
俺は、ただ……愛していると伝えたい。



★☆★☆★

8月3日の朝。

今日、東西出版から読者リポーターが来るという連絡は受けていた。
『顔で選んだ訳じゃないけれど、兎に角存在感ある美人なの。絶対に驚くわよ♪』と、電話越しに、うちの担当記者……志賀玲子が楽しそうに言っていた。

だけどレース前の一番多忙な時、ご挨拶にとやって来られても迎える余裕なんてない筈なのに、対応に出した疾斗が、超興奮気味に駆け戻ってきて。

「すっげー綺麗な人、留依さん、一見の価値大有り!!」
ぐいぐいと腕を引っ張られ、車の側から連れ出される。

「あ、沢渡さん。彼がこのオングストロームのリーダーで……、藤宮留依です」

丁度カズに案内され、珍しそうに周囲を見回しながらピットの奥にやってきたのは、艶やかで長くウェーブがかった背まである黒髪に、青いすっきりとしたスーツ姿の細身の美女。
彼女はふうわりと花が綻ぶような笑顔を向け「初めまして」と握手を求め、手を差し伸べてきた。

何が、何が『初めまして』だ。
駆け寄らずにはいられなかった。

「……アンジェ!!……」
両肩を力一杯で引っ掴んでしまう。
痛みで顔を歪め、怪訝気に見上げた彼女の瞳は黒い。
絶対カラーコンタクトのせいだ。
自分の好きなバイオレットでは無い彼女だったが、他人の空似であるものか。
自分が彼女を、絶対に間違える訳がない。

「アンジェ、アンジェ、愛してる。俺の運命。……ああ、生きてる。やっぱりイシューは間違っていた。俺は一日だって君を忘れた事なんて無かった!!」


彼女も瞠目した。
「……もしかして、貴方……、トゥ……ーリ?……」


込み上げてくるものが抑えられなかった。
彼女を抱きしめ、肩に顔を埋めて、嗚咽を歯を食いしばって堪えても、迸る涙は止まらない。

「……俺、君は死んだって………。死んだって……、……俺……八年前……」
「誰が貴方にそんな事を?」
「……病院に駆けつけた時、心臓が止まってたのをこの眼で見た。君の兄も、医者も、……君は亡くなったって……」
「……私、てっきり嫌われたのだと思っていたわ……」
「そんな事、天地がひっくり返ったってある訳がない!!」

そっか、そういう事か……。
突然連絡が途切れれば、そりゃ誰だってそう思うだろう。
ミゲールめ、よくも嵌めたな。
貴様がアンジェの兄だとしても、今度会ったらブッ殺す。


「ずっと寂しい思いをさせてゴメン。一人ぼっちにしてゴメン。愛してる愛してる、アンジェ……、俺の運命、ファムファータル、勝利の女神……」

グラブを放り捨て、素手になり、良く手入れされた彼女の髪を何度も梳く。
昔は美しい銀色だった。
菫色の淡い瞳としっくりあって、月光のように神秘的な輝きが大好きだった。

もう一度彼女の美しく大人になった顔を確かめたくて、しゃくりあげながら顔を上げると、美しく誰もが見蕩れる優しい天使の笑顔でそっと涙をハンカチで拭ってくれた。
昔と全く変わらない優しさに感動し、ついつい頬に掠めるようにキスを落としてしまった。

遠巻きに見ていた疾斗が、航河が、カズが唖然と立ち尽くしている。
アンジェも、突然の事に驚愕し、固まって。
でもふうわりと微笑んでくれた。

「トゥーリ、ここは日本よ。女性への久しぶりの挨拶は握手まで。でないと見ている皆さんを驚かせてしまうでしょ?」
「……そうだね、ゴメン……」
「さぁ、レースが始まってしまうわ。待っている皆さんの所に戻りましょう?」
「嫌だ!! 離したら君はまた消えてしまうかもしれない!! 君は俺の運命の人、ファムファータル!! 愛している愛している……、アンジェ……!!」
泣きながら首を勢いよく横に振り、子供のように駄々をこねて。
でも彼女はやっぱり優しくて。


「レースが終わったら、ここに取材に来るから」
「……取材? って……?…」
「東西出版の志賀さんから連絡を受けてない? 読者リポーターが今日来るって」
「聞いてる、聞いてるけど……、え? ……名前が違ってないか?……」
「私が日本人のハーフなのは知ってるでしょ? 沢渡美紅はこっちの名前」
「それに今日来るのはOLだって」
「私今、製薬会社の庶務課で働いているの。週休完全二日の普通の社会人」
「君が!?」

思いっきり両肩を引っ掴む。

「ありえない!! だって君……、音楽!?」
「色々あってね。今は趣味で作詞作曲を少しやってるだけ」
「そんな!? 俺が許すと思う!?」
「それよりトゥーリこそ、どうして日本にいるの? 名前だって私が記憶しているものと、随分違うみたいだし」

ぐっと息を飲む。
オングストロームの皆には、まだ自分の過去を話せないでいる。

「お互い、過去は内緒にしたい……、そういう事でいいのかしら? えーっと……、藤宮留依さん?」

周囲に気を使ってくれ、囁くような小声。
頭の回転の良い彼女に釣られ、こっちも段々と冷静になってくる。

「レースが終わったら、逃げずに絶対ここに戻って来てくれるんだな?」
しつこく食い下がっていると、彼女はスカートのポケットから携帯を取り出した。
「そんなに信用がないのなら、貴方がやってね♪ 私、機械そんなに強くないの」

慌てて取り出した携帯電話を開き、赤外線登録で、メルアドと携帯番号を交換する。
連絡が自由に取れる確約を手に入れ、ようやく腕の中に捕らえた天使を手放す事ができたのだ。

「じゃあ、また後で」と、颯爽と蒼いハイヒールを鳴らしつつ、去っていく彼女を、見えなくなるまで見送った。
今のは白昼夢ではないのかと疑ったけれど、彼女がくれた涙を拭ったハンカチはちゃんと手の中にある。
ああ、本当に……アンジェは生きているんだ。

そう思ったら、また不覚にも涙が溢れてきて。


「あの、留依さん……、今の方は?」
静かに嗚咽を堪えて泣く自分に気遣い、でも好奇心には勝てなかったのだろう。
じゃんけんで負けたカズが、代表でおずおずと尋ねてくる。

「アンジェだよ。以前話した事あっただろう? 俺の愛しい、初恋の人だ……」


★☆★☆★

その頃、オングストロームのピットが完全に見えなくなってから。
観客席へダッシュで階段を駆け上った美紅は、人の耳が少ない席に腰を降ろした後、ぶるぶると震える手で携帯を引っ張り出していた。
コール先は勿論、東西出版社の編集部である。

「もしもし、沢渡ですけど……緊急事態です、助けてください!!」
≪あー、何かトラブルあったのか? 冷たくあしらわれたんで帰るっていう泣き言だったらきかねーぞ? お前がどーしてもやりたかった仕事なんだろう? お姫様の我侭に付き合ってやるほど、俺ぁ暇じゃねーからな≫

コネを駆使し、裏で手も回して強引に掴み取った『読者リポーター』の座だ。
織田編集長が、自分を気に食わない女と思っているのも知っている。
のほほんとしつつも悪意がたっぷり込められた声に、挫けるものかときゅっと震える手で携帯を掴みなおす。

帰れるものなら……帰りたいとも!!
使ったコネが自分を溺愛している叔父……、宝條院財閥の会長でさえなければ!!