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朱金の王花

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第一節 秘密の花園



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 アメストリスの建国にはある一つの神話がある。
 天の庭からこぼれた種がこの地に花を咲かせ、そのあまりの美しさを惜しんだ天が、その花の続く限りこの国を栄えさせ給う、という神話である。
 子供の寝物語のような他愛もない話だが、しかしその実、幾度か政権は変わりはしたものの、「アメストリス」という国そのものは滅んではいないのだ。もうずっと、誰も覚えていないくらいの昔から。


「…全く、とんだ迷宮だな」
 ロイはぼやきながら、どうやら迷い込んでしまったらしい回廊の天井や壁を見回した。不意に入口が目に入った時、近道だ、となんとなく思ってしまったのが運の尽きだったらしい。
「仕方ない、戻るか」
 彼は首を振って諦めた。このままでは余計に迷ってしまう。その結果許可なく立ち入ったと叱責を食らうことだけは避けたい。いかに国家錬金術師という肩書をもとうとも、彼は未だ若輩の身なのだ。軍という組織において。
「……?」
 しかし、元来た道を戻ろうとした時のことだ。何か声が聞こえた気がして、それがとてもこんな場所、すなわち大総統府の深奥で聞こえるはずもないような若い、高い声だったことに不審と興味を覚えて、戻るのを取りやめにしてしまった。
 首を動かせば、もう少し進んだ場所に光があふれている。恐らく、このいやに古臭い石造りの回廊はそこまで行けば終わりになるのだろう。言葉にしてみれば理由は一応あった。だが、そこまで進んでみようと思ったのは単純に好奇心である。
 それにしても誰もいないな、と思いながら進めば、視界が開けるのはすぐだった。
「……」
 ロイは思わず息を呑んだ。そこにあったのが、あまりに想像とかけ離れた光景だったからだ。
 石造りの回廊はまるで切り取られたようにそこで途絶えていた。そうして、立ち塞がるように、格子のように、あるいは牢のように並んだ何本もの柱。その向うに広がる鮮やかな色の奔流は、季節も風土も無視した幾千もの花々に由来する。
 夢でも見ているのかとロイは瞬きも忘れて見入っていた。まさか大総統府の奥にこんな場所があるとは思わなかった。
「――誰だ」
 立ち尽くしていた彼は、柄にもなく気配に疎くなっていたらしい。常であれば、こんな、声がはっきり聞こえるような至近で喋られればその存在と接近に気づかぬわけがない。
 声の主を探して振り向けば、細い鉄格子の向こう、極彩色の花々の中、それらの花よりもなお鮮彩な存在がたたずんでいた。声の主に違いない。
 だがロイの口はまるで言葉を忘れてしまったようになっていた。それくらい、見とれていたのだ。魂を奪われたといっても過言ではなかったかもしれない。
 現われた存在、そのひとはあまりにも美しかった。美しすぎたのだ。
 背中の中ほどまでもある眩い金色の髪に、同じ色の瞳。それは蜂蜜を思わせる、透明で甘やかな黄金色。ロイが生まれて初めて見るような色だった。そしてそれらを備える白い肌は雪のように白く、触れたら溶けてしまうのではないか、と埒もないことを考えずにいられない。
 背は、女性ならば高い方だろうが、男性であれば低い方だろう。大きな瞳が印象的な輪郭は、赤く潤む唇やすっと通った鼻筋によって完璧なものになっていた。凛とした眉目は媚とは無縁だったが、しかし清爽たる魅力を纏っていた。
 言葉でなどとても言い表せない。ロイは、唾を飲んだ。
「…おまえ…?」
 見たこともないような白い、長いゆったりとした衣服を纏ったそのひとは、不意に足を止め、怪訝そうな顔になる。
「…そんなはずないか、まさか生きてるはずは…」
 ロイの頭から爪先までをじろじろ見ながら、そのひとは小さく呟く。もしかして誰かと間違えているのだろうか、とその態度から汲んで、ロイは自分から一歩近づく。相手が息を呑んで軽く目を瞠った。
「…わたしは、」
 名乗ろうと、なぜかはわからないがとにかく名乗ろうと口を開いたロイの前で、さっと相手の顔色が変わった。怪訝なそれから、怒りのものに。
「近寄るな!騙されないぞ…!」
「騙す?」
 ロイは首を傾げた。今日会ったばかりの相手を過去に騙すことはどうあがいても無理だ。
「誰かと間違えていないか、私は、」
「うるさい!うるさいうるさい!」
 いやに子供じみた仕種で頭を振って、その美しい人は駆け出そうとした。咄嗟に逃がしてはいけないような気がして、ロイは思わず手を伸ばしていた。格子の中へ。そうして、掴んだ、と思った瞬間、するりと手の中からその布の感触が抜け落ちていく。捕まえられなかったことに愕然としたロイの目の前で、距離を置いた場所でその美しいひとがこちらを睨んでいた。憎しみ、だけではないものをその瞳に読んで、ロイは口にすべき言葉を見失ってしまう。
「…信じてたのに…!」
 ぽろり、とその白い頬を透明な雫が落ちた。そのことに、ロイは言葉に出来ないほどの衝撃を受ける。まるでハンマーで殴られたように眩暈がした。心臓が過剰に血液を送り出して息苦しい。
 相手がくるりと背中を向けて花の中へ消えていくのを、ロイはただ見ていることしか出来なかった。
 元来た道を戻ることも出来ず、ただ、黙って立ち尽くしていた。

 その後本来の場所へ戻ったロイを咎めるものは誰もおらず、ロイもあの場所のことを尋ねることが何となくはばかられ、その記憶は長らく彼の中に不可解なものとして棘を残し続けることになる。
 その少し後、彼がひとりの少年と出会うまで。いや、出会って以後も、ひそやかに。
作品名:朱金の王花 作家名:スサ