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遼州戦記 保安隊日乗 番外編 2

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 そう言うと吉田は立ち上がった。ビールは二瓶は飲んでいるが、すでにアルコールは完全に彼の体から抜けているのはいつものことだった。
「カウラちゃん。運転はだめだよ」 
「ああ、代行を頼むが……」 
 シャムとカウラは自然と倒れた誠達に目を遣る。いつもなら全裸の誠にいたずら書きをする要だが、今日はランと明石がいるので珍しく殊勝にパンツを履かせていた。
「久しぶりに見るとおもろいな」 
「人ごとだと思いやがって」 
 混乱を楽しむ明石を苦々しげな視線で見上げるラン。シャムは大きくため息をつくとそのまま階段を下りるラン達に続いていった。
「お愛想!」 
 明石はそう言いながらそのまま出てきた春子とともにレジに向かう。シャムは何となく疲れたような感じがして誰もいない一階を黙って通り抜けて外に出た。
 空は晴れ上がっていた。北風が強く吹き抜ける中、雲一つ無い空には大麗の姿が見て取れる。
「ああ今日も晴れか……明日も晴れそうだな」 
 出てきた吉田が声をかける。シャムは静かに頷く。
「明日もいい天気だといいね」 
「まあな。雪でも降られたら面倒なだけだ」 
 吉田はそう言うとそのまま歩き出す。
「おう、車を出してくるから。明石にはよろしく言っといてくれ」 
「勝手なんだから!」 
 シャムは手を振る吉田を見送りながら叫ぶ。街の深夜の明かり。いつものことながら人通りは絶えることがない。
「吉田はまた勝手に行っちまったのか?」 
 引き戸を開けて出てきたランが顔を顰める。シャムは頭を掻きながらランが開けた店の中を覗き込んだ。
 寝ぼけているように突っ立っているアイシャ。不格好に無理矢理服を着せたのがすぐに分かる姿の誠を背負う要の姿がいつものことながら滑稽に見えた。
「アイツ等も進歩がねーな」 
「それもええんとちゃいますか?」 
 呆れるランをたしなめるようにそう言うと明石は携帯を取り出した。
「なにか?タクシーでも呼ぶのか?ならアタシも乗せてけよ」 
 ランの注文に頷きつつ明石はつながった電話と話し始める。
「ごちそうさまでした!」 
 さっぱりした表情のパーラの礼。明石は軽く手を挙げる。サラもそれにあわせるように頭を下げそのまま駅の方に歩き始める。
「全く、女将さんには頭があがらねーや」 
 ランの苦笑いにシャムも自然と頭を下げていた。そこに急に現われるワンボックス。
「明石、先に失礼するな」 
 顔を出した吉田に電話を握ったまま明石が手を振った。シャムはそのまま車道に出てワンボックスの助手席に乗り込む。
「いいの?もう少しカウラちゃん達がどうなるかとか見て無くても……」 
「餓鬼じゃないんだから自分でなんとかするだろ?」 
 吉田はそれだけ言うと車を走らせる。すでに深夜と呼べる時間だが繁華街を歩く人は多い。多くが頬を赤く染め、機嫌が良さそうに歩き回っている。
「平和だね」 
 シャムの言葉に吉田は静かに頷いた。すぐにアーケードは途切れ、シャッターの閉まった商店街の中へと車は進み、信号で止まる。
「それよりお前の所……静かに入れよな」 
 気を利かせたように吉田が言った言葉にシャムは頷く。今日はそれほど酔ってはいなかった。何となくいつも通りの一日。
 車が走り出すと周りの景色が動き出す。花屋、金物屋、模型店。どれも光るのは看板だけでシャッターは閉まり繁華街のように人が出入りする様子もない。時々見かけるのは会社帰りのようなサラリーマンやOL。誰も彼も取り付かれたように早足でこの商店街から抜け出すように歩いている。
 大通りが見えたところで吉田は車を路側帯に止めた。
「どうしたの?」 
 シャムの問いに弱々しげな笑みを浮かべる。吉田がこういう顔をするときは彼のネットと直結された脳髄になにがしかの情報が入力されていることを意味していた。
「なんでもないさ……私的な……本当に私的な通信だ」 
 それだけ言うと吉田はウィンカーを出して再び車を走らせた。
 シャムは気になっていた。吉田の『私的な通信』という言葉。最近特に耳にすることが増えてきていた。吉田についてシャムが知っていることは意外に少ない。二人が初めて出会ったのは遼南の戦場だった。
 遼南を二分した内戦。北部の人民軍と同調する北兼軍閥、東モスレム三派連合、東海軍閥と南部の共和軍と南都軍閥と介入していたアメリカ軍との戦いの中二人は敵味方として出会った。共和軍は多数の傭兵を使って戦意の低い自軍を支えていた。そんな傭兵の中でも屈指の腕利きとされたのが吉田俊平率いる部隊だった。
 彼は望んで亡命師団や胡州浪人で構成された精強部隊の北兼軍閥、つまり嵯峨惟基支配下の部隊と対峙した。その中にはオリジナル・アサルト・モジュール『クロームナイト』を駆るシャムの姿もあった。戦いは一撃で終わった。傭兵部隊の背後を潜入した特殊部隊で急襲した嵯峨は返す刀で吉田の部隊を挟撃。奮闘むなしく吉田の部隊は壊滅し、彼もシャムの手で討たれたはずだった。
 その後アメリカ軍が撤退し、南都軍閥に見限られて死に体の共和軍との死闘直前、女性の姿で吉田は現われた。
「とりあえず空いてた義体を有効に使ってやろうと思ってね」 
 減らず口をたたくところはその後の吉田そのものだった。その後嵯峨と吉田が何かを話していたのを覚えている。だがシャムは吉田にそのことについて深く聞くことは無かった。後で分かったことだが、その義体は要の予備の義体だった。
「本当に最近変だよ」 
 シャムの心配にただ曖昧な笑みで応える吉田。その目はそれ以上何も聞いてくれるなと哀願しているような悲しさを湛えていて、思わずシャムは黙り込んでしまっていた。
 道はそのまま住宅街の中へと続いていく。豊川市。東和共和国の首都東都の西に位置するベッドタウンらしい光景。あまりにも身近であまりにも慣れた光景。いつもなら何事も無く通過してしまった小学校の校門ですら吉田の異変が気になるこの頃では目新しいものに見えてくるのがシャムには不思議だった。
「ちゃんと静かに入るんだぞ。鍵はあるか?」 
「馬鹿にしないでよ。ちゃんと……」 
 シャムはジャンバーのポケットを探る。バイクのキーと一緒にまとめられた鍵。こういうときに見つからないことが多いので見つかって安心したようにため息をついた。
「ため息か……飲み過ぎじゃないのか?」 
 吉田の軽口に笑顔で応えた。そのまま車は大通りに一件だけの魚屋の前で止まった。
「早く下ろすぞ」 
 すぐさま吉田はエンジンを止めて車から降りる。シャムはそのままシートを超えて後部のスペースに固定されたバイクに手を伸ばした。
 バイクにはロープが巻き付けられていた。実に慣れた手つき。保安隊創立以降、こうして何度この古ぼけたバンの貨物室にくくりつけられてきたのか。シャムは思わず笑ってしまっていた。
「おい、早くしろよ」 
 開いた後部ハッチから顔を出す吉田にシャムは照れ笑いを浮かべた。そのまま慣れた手つきで手早くロープをほどいていく。
「傷は付けるなよ。骨董品なんだから」 
 憎まれ口を叩く吉田に愛想笑いを浮かべながらシャムはほどいたロープを手早くまとめてバイクに手をかけた。