遼州戦記 保安隊日乗 番外編 2
「そう言えば、パーラが来てなかったね……」
シャワーの水量を調節しているシャムの声にアイシャの顔が引きつる。
「そうだな。昼に私が来たときにはいなかったが……どうしたんだ?」
カウラが服を脱ぎながらそう言うとしばらくアイシャは頭を掻きながら考えていた。
「言う?」
「私は嫌よ」
アイシャに話題を振られてサラが首を振った。
「あれか……鎗田大尉がらみか……」
「え!二人ってまだ別れて無かったの?」
シャンプーの泡だらけになりながら叫ぶシャム。アイシャは静かにユニフォームを脱ぎながら話し始めた。
「別れたのはもうとっくの話なんだけどね。またやり直したいとか言い出したのよ、あいつが」
「それで出かけるとは……本当にパーラもお人好しだな」
カウラはそう言いながらシャワーを浴び始める。
「私もそう言ったのよ。でもパーラはもうそのことは忘れたからちゃんと同僚として挨拶をしてくるって」
「そう言うのは未練が無い人はしないのよね」
アイシャの言葉に相づちを打つサラ。シャワーの音が女子シャワー室内に響いている。
鎗田司郎。保安隊技術部の大尉だが彼の率いる技術部機関部員は運行艦『高雄』の整備点検の為、常に『高雄』が係留してある東都の東200kmと離れた港町、新港に常駐していた。正直、技術部での彼の評価は高いものでは無かった。
部隊設立と同時にパーラと付き合い始めたと言う時点で技術部の面々が面白く思うわけがない。だが、アイシャ達運行部の面々まで敵に回すことになったのはさらにある出来事がきっかけだった。
突然のパーラへの電話。それは鎗田が未成年との交際が発覚して警察署に連行されたと言う内容のものだった。パーラは彼女より激高している鎗田の上司である許明華をつれて新港へ向かった。
そこで何があったのかはシャムも知らない。実際平然とシャワーで髪を流している情報通を自称するアイシャも詳しくは知らないとシャムも思っている。ともかく鎗田は釈放されて特にニュースにもならなかったところからみてもみ消したのか、それとも単なる誤解だったのか。ただそれ以来パーラは鎗田の話題を持ち出すことを避けるようになっていた。
「でも本当にいいの?」
バスタオルで体を拭きながらのシャムの言葉。アイシャは聞こえていないというようにじっと頭からシャワーを浴びている。
「本人の問題だ。私達が干渉するようなことは何もない」
「いいこと言うわね、カウラちゃん。胸が平らなわりに」
「最後の言葉は余計だ」
アイシャがいつもの軽い口調に戻ったのをみて事態はそれほど深刻ではない。そうシャムは思った。
「それに……今回はお姉さんも電話で釘を刺してたみたいだから」
少しくらい調子でアイシャがつぶやく。だがシャムはお姉さんことリアナが穏やかな調子で鎗田を諭すのを想像して少しばかり安心していた。
「それじゃあ大丈夫だね」
下着を着けてズボンに足を通す。シャムより少し遅れてサラもシャワーを出た。
『おい!早くしろ!』
シャワー室の外では要の叫び声が聞こえる。
「自分は突っ立ってただけだって言うのに……気楽なものね」
思わず苦笑いを浮かべるアイシャ。シャムは着替えを終えるとそのままアイシャ達を置いてシャワー室をでた。
「よう」
要の隣に当然のように立っている吉田。シャムは少しばかり不思議に思って頭の先から足の先までじろじろと見つめた。
「なんだよ……」
「覗いてたんじゃないの?」
「何言ってるんだか……どうせお前はバイクだろ?飲むんだったら俺の車に乗っけて行ってやろうかと思ったけど……止めるか?」
痛いところをつく吉田。そもそも酒にあまり興味のない吉田はシャムにとっていい足代わりだった。
「またバイクを乗っけてくれるの」
「まあな。行くぞ」
吉田はそう言うと早足で歩き始める。
「待って!」
シャムはユニフォームの入ったバッグを手に早足で歩く吉田を追いかけた。
正門の前には20世紀のドイツのワゴン車のレプリカが止まっていた。吉田お気に入りの一台とでも言う奴。
「乗れよ、明石達はもう出たぞ」
吉田に急かされてシャムは駆け足で車に乗り込んだ。
「積んでくれてたんだ」
後部にはシャムのバイクがロープで固定された状態で乗せられている。
「まあな、気が利くだろ?」
「そうだね」
シャムの笑顔を見ると吉田は車を出した。
正門前の車止めもすでに夜の闇の中に沈んでいる。そこから真っ直ぐ、ゲートの明かりだけが頼りだった。
「おい!」
ゲートに着いた吉田が窓を開けて叫ぶ。うたた寝をしていた古参の警備部員がめんどくさそうにゲートのスイッチを押す。
「お先!」
吉田はそう叫ぶのそのまま不眠の大工場の中に車を乗り入れた。
昼間ほどではないがやはり大型トレーラーが資材を満載して行き来している。そんな工場内の道路を吉田は慣れたハンドルさばきで車を走らせた。
「パーラの話……」
「ああ、クバルカ隊長から聞いたよ。まあいい大人だ。どう判断するかは本人の問題だろ?鎗田も馬鹿だがそれなりの技術屋のプライドくらいはあるはずだからな」
落ち着いた調子でつぶやく吉田を見てシャムは少しばかり安心した。
「そうだね。ランちゃんも見てるんだから大丈夫だよね」
「ああ、あのちびっ子。喰えないからな。鈴木中佐にしろ明華にしろ敵に回すとやっかいだってことは明石の野郎が伝えてると思うからな」
工場の中央を走るメインストリート。主に昼間は営業車の出入りに使用される道にはすれ違う車も無かった。
「でも……なんだか心配だよな……」
「そんなに心配なら見に行くか?場所もわかるぞ……まあ移動しても鎗田の車のシリアルナンバーは登録済みだから追えるぞ」
真顔でシャムを見つめてくる吉田。シャムはただ苦笑いを浮かべていた。
「いいよ。あまり干渉するのは良くないと思うのよね」
「そういうことだ。わかってるじゃないか」
吉田の言葉に頷くシャム。車は工場の正門に到着し、監視ゲートをくぐってそのまま産業道路と呼ばれる国道に出ることになった。
しばらく沈黙が続いた。
車の流れは順調だった。帰宅を急ぐ車の列に続けばすぐにまた工業団地から住宅地へ向かう道をすいすいと走ることができる。
「話は変わるんだけど……さ」
シャムは沈黙に耐えられずに口を開いていた。吉田は相変わらず気にする風もなくハンドルを握っている。
「誠ちゃん……」
「球のキレが違ったな。あれは、気の持ちようだろうな」
質問より早く吉田は答えていた。シャムはなんとなくわかったのかわからないのかよくわからないまま外を流れる車の列に目を移した。
「いろいろ言われてるけど、アイツはああ見えて結構度胸が据わってるよ。表面上はおどおどしていても本心から迷うような奴じゃない」
「なに?俊平はわかっているみたいじゃない」
「俺を誰だと思ってるんだ?精神科医の論文くらい毎日目を通しているよ」
平然と答える吉田。車は周りの永遠に続くかに見えた田んぼと点在する大型店ばかりの道から住宅の目立つ景色の中に飛び込んでいた。
「そう言うのも読むんだ」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 番外編 2 作家名:橋本 直