妄想その2
Scene5 寝込む
季節の変わり目は体調を崩しやすいと申しますが、皆様いかがお過ごしでしょう。お風邪など召されておりませんでしょうか。私は絶賛、発熱中の鼻水大放出中です。
それで学校を休んで、一日中布団にくるまっていたわけだ。今も気持ちよく、でもないが寝ていたのに、廊下をやかましく鳴らす足音に眠りを妨げられた。あの歩き方は、あいつに違いない。
「やあやあ、元気でやっとるかね!」
ドアが勢い良く開け放たれたと同時に掛けられた大声が頭に響く。現れたのは予想通りの人物。
「元気でやっとらん。早く閉めろ。寒い」
自分の声すら耳にやたら響いてうんざりする。それなのにこいつときたら遠慮のかけらもなく音を立ててドアを閉めるものだから、頭から布団をかぶってしまいたくなった。実際にそうしたら息苦しくって嫌だからしないが。代わりに寝返りを打って、奴に背中を向ける。
それでも後ろでがさがさごそごそやっている音が気になって仕方がない。もうちょっと病人に対する気遣いというものがあってしかるべきではないだろうか。
「これ、今日貰ったプリントね。んで、これがこないだ借りた漫画。置いとくね」
「ん」
一応の相槌を返してから、もう一度眠りに就こうと目を閉じる。と、顔を何かがくすぐった。その正体を確かめるべく目を開けると目の前には奴の顔。
「うわ」
「お礼は? 私、わざわざ足を伸ばしてプリント持ってきてあげたんだけど」
わざわざ顔を覗き込んでまでお礼を言われたいのか、こいつは。足を伸ばしてと言ってもあんたの家は隣でしょうが。しかも毎日のように上がりこんでくるくせに何を言ってるんだ。しかし、それを突っ込むとまた話がややこしくなりそうだ。
「はいはい、ありがとうね。じゃあおやすみ」
顔をくすぐる奴の髪を払いのけ、布団を被りなおす。不満を訴える声が聞こえたがそれも無視。具合が悪すぎて、相手をする気になれない。
そうしていたら気配が遠のいていった。ようやく帰る気になったか。
と、思いきや、布団の中に冷気が入り込む。それと同時に異物の進入。奴だ。
「ちょっと、何してんのよ?」
苦情を訴えようと振り向こうとした。けれど背中側から伸びた腕に体の自由を奪われる。ついさっきまで外気にさらされていたこいつの体は、パジャマ越しにもわかるほどひんやりしていて、私の体を覆っていた熱を奪っていく。
「はあ。ぬくぬく。あったかいねえ」
「馬鹿じゃないの? 私、具合悪いんだから寝させてよ」
「いいよー。どうぞ寝てください。私はこうしてるんで」
抗議も意に介さず、奴は更に体を寄せてくる。冷たく柔らかい程よい圧迫。しかしそれも体調最悪の今は鬱陶しい。
「寝れるか! アホ! 出てけ!」
拘束は口で言っても解かれされそうにない。となれば力づくでほどくしかない。思い通りに動かない体に力を込めて、腰に絡みつく腕を引き剥がす。拘束が解けたところで寝返りを打って、奴を布団から押し出そうと試みた。
が、私が手を突き出すより早く、奴に懐に潜り込まれた。そして再度体を拘束される。首筋に触れる冷たく柔らかいものはきっと頬だ。私の頬には奴の髪が。そこから甘いような、埃っぽいようなそんな匂いがする。行き場を失った手をどうしたものか。
「なんだ。元気じゃん。あー、あったかい」
くすくす笑うその声がまた腹が立つ。こっちは無駄に暴れたおかげで頭がくらくらするというのに。取り敢えず力ずくで抵抗するのは無理だ。脱力すると宙をさまよっていた手はぱたりと奴の横腹あたりに落ちた。
「元気なんかじゃないって。あんたのせいで余計具合が悪くなったわ」
「えー、そうなの? でも、君の背中が寂しそうだったからさー」
相変わらずくすくす笑う奴の手が背中を撫でる。
「何それ? 馬鹿じゃないの?」
「本当に、出て行って欲しいの?」
挑発するように首筋に触れる柔らかく蠢くもの。きっとこれは唇。
「当たり前でしょ。私は具合が悪いんだって」
「どれどれ」
そういって奴は体を離して顔を覗き込んでくる。すっと開いた隙間に忍び込んできた冷気にぞくりと悪寒が走る。
「なに顔赤くしてるの?」
くすくす笑うその息が私の吸うはずだった酸素を奪う。
「アホか。熱のせいだって」
冷たい手が頬を包む。少し気持ちいい。
「あーホントだ。あっつい」
「わかったら出てってよ。てか、具合が悪いから学校休んだんだし、少しは遠慮しなさいよ」
呆れ半分、苛立ち半分の溜息をつくと、狭い空間に熱気がこもる。それもわずかの時間だけ。奴はまた首筋に頬を擦り付ける。
「わかってないなー。遠慮してるからこの程度で済んでるんですよ」
「は?」
何を言ってるのかわからない。これのどこが遠慮してるというのか。
「鼻にかかったけだるそうな声出しやがって。しかも頬を上気させちゃってさ。そりゃ襲い掛かりたくもなるでしょうよ。それを我慢して抱きつくだけにしてあげてるんだから感謝しなさい」
こいつ、発情してたのか。しかし、今挙げた事象はすべて風邪の症状だろ。
「いやいや。それ、おかしいから」
「おかしくない。好きな人とくっつきたいのは当たり前のことです」
「いやいやいやいや」
なんだか急に乙女ちっくなことを言い出されて、どうにも落ち着かない。苦笑いを漏らしていると、ひょいと顔を覗かれる。
「くっつきたくないの? もしかして私のこと好きじゃない?」
「そ、そういうことじゃなくってですね」
「じゃ、どういうこと?」
大人しく寝させてくださいと言ったところで、環境は改善されないことはさっき実証済みだ。
「風邪。うつりますよ?」
「いいよ」
八方ふさがり。もう、抵抗するのも面倒だ。
「うつしたら早く治るって言うし、うつしちゃいなさいよ」
目の前の満面の笑みが随分可愛らしい。湧き上がる衝動。頭がぼんやりしてきたのは、たぶん薬が切れてきたのだろう。もう。いいや。抵抗するの、面倒臭い。うつっていいって言ってるし。
目の前にあった唇に吸い寄せられるように、自分のそれをくっつける。唇で食む。間にこもる熱はいつもより温度が高く、それが更に衝動を呼び起こす。
満足するまでそうしてから離れる。と、奴の腕にぎりぎりと腰を締め付けられた。
「い、痛い! 何?」
「アホ! こっちが頑張って我慢してるのに、そういうことするなよ! 理性が飛ぶだろ!」
薬切れの私はぼんやりとそれでも構わないというようなことを思ったけれど、奴はしばらく悶絶した後で部屋を出て行った。
翌日もけろっとした顔で学校に行った奴とは対照的に、私はもう三日寝込むはめになったのだった。