小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

ゆうかのエッセイ集「みつめて・・・」 2

INDEX|2ページ/4ページ|

次のページ前のページ
 


アルファベットの「I」の文字を横にして並べたような赤茶けた歩道を、ただ足元だけを見つめつつ黙々と歩く。
すれ違う人々は多種多様だ。
何人もの男女が仲間とおぼしき人と連れ立って、内輪話に花を咲かせながら歩いている。

「とうとう入院したのよ、うちのお義母さん」
「まあ、そうなの? でもその方が良かったんじゃないの? 家での世話は大変でしょう?」
 
どうやら自宅介護をしていた人らしい。聞く気がなくても耳に届く。
その実、介護というものは経験者にしかわからない複雑な想いがつきまとうもので、その内容だって家庭ごとに違うだろう。
私も父を送った時、入院中の僅かな期間だが、片道二時間の道を何度も往復した。
だが私が父の為にしたことって、一体幾ばくのものだろう。どう贔屓目に見ても介護などと呼べるほどの代物ではない。
それまでに父が私の為にしてくれたことを思えば……ああ、なんて親不孝な娘だったことか。

「昨日の大穴は凄かったなあ」
「ああ、73,000円だって? 買っときゃ良かったなあ」

かなり遠くまでも聞こえるような大声で話しながら、中年の男性が通り過ぎる。
競馬の話だろうか。
当人達にとっては、競馬はある意味スポーツみたいなものなのかもしれない。しかし実際のところ、競馬はギャンブルなのだ。
本来「私はギャンブルが大好きです」などと大声で公言したりなどするだろうか。
もし彼らにそう言ったら、
「自分の働いた金でギャンブルをして何が悪い?!」
と逆に噛み付かれるかもしれない。
そりゃあ、あなたが独身で、誰にも責任のない立場なら、確かにその言い分は通るだろう。しかしもし、妻や子のある身であるならば、それに賭けるお金も時間も、もっと別な使い道があるのではないだろうか。
そういう私だって、たまにはパチンコにうつつを抜かす時もあるのだから偉そうには言えないが……。
せめて「ギャンブルをやっている」という認識の元に密やかな会話を楽しんではどうだろう。

ふと見ると、向こうからパンツスタイルの若い女性が同年代の男性と腕を組んで歩いて来る。
なるほど彼女の上半身は素晴らしい。男性が惚れるのも頷けるというものだ。
ところが下半身がいけない。ひどいO脚だ。ガニ股と言った方が正しいかもしれない。上半身の女性らしさを全てそれが台無しにしている。
それなのに何故パンツスタイル?
それも脚のラインがはっきり分かる、スリムなぴったりフィットタイプ。

「そんなのやめてスカートを履きなさい」
思わずお節介な私が顔を出して、ふっとそう言いそうになる。
「余計なお世話はやめなさい」
もう一人の私が慌てて止める。
「ねえ、一緒に歩いているお兄さん、どうせなら素敵な彼女がより素敵に輝けるように、ほんのちょっとのアドバイスをしてあげたらどうなの?」
心の中で呟いてみる。

「久しぶりですねえ」
「はい、一週間もさぼっちゃいました」

見るとジョギングスーツに身を包んだ壮年の男女。
特別親しいというほどでもないけど、顔を合わせたら会話する。そんな仲だろうか…。
多分それぞれに家庭もあり、またそれぞれに悩みも抱えているのかもしれない。
そんな二人が交わす言葉は、傍が聞いていて取り立てて不自然さは感じない。
しかし二人の見交わす瞳には、何かしら意図が感じられる。
お互いの想いを表には出さずとも、気持ちが溢れているように思えるのは私の考え過ぎというものだろうか。
秘めた想いがつかの間でも悩みを忘れさせ、日々の生活を潤すならそれもまた良し。
但し それを表に決して出さないのが条件だが…。


ずっと真っ直ぐに伸びる高い桜並木の道が、まるで人生という名の道でもあるかのように、果てしなく続いて見える。
その道ですれ違うあらゆる人達。
彼らには彼らの人生があり、私にもまた同様に人生がある。

この道を一歩ずつでも前進することが、生きるということなのだろう。
そして今の私は、人生の何合目辺りだろうか……ふと立ち止まって思う。

平成23年9月 朝のウォーキングにて…