坂道ライフ01 入学式
それはそれは驚くくらいに。
四月、桜が舞い散る坂道を俺は真新しいスーツを着て駆け降りていた。
新生活始まりの日くらいはきちんとしておきたいものだ…というのは建前で本音は遅れて行って無駄に目立ちたくない。
家賃4万円で12畳なんて好条件に惹かれて入居してみれば、そこは四方を坂道に囲まれた陸の孤島だった。
大学に行くためには30分間坂をひたすら下り、駅に行くためには15分間ひたすら登る。そんな辺鄙な場所なら部屋が広くても安くなくちゃ入居者はなかなか集まらないだろう。
遊び回らないで免許の一つや二つ取っておけばよかった。
携帯電話を開けば時刻は九時半とある。
式は十時からだったはずだ。まだ間に合う。
緩やかな坂道を転がるように走りながら俺は大学を目指す。
四月にしては暑い今日、走っていれば汗をかくのはしょうがない。
少し考えれば全力疾走で大学まで向かえば汗だくになることくらい小学生にもわかること。
そんなことにすら気付けず全力疾走していた俺は案の定大切なスーツを汗でびちょびちょに濡らしていた。一言だけ弁解させてくれ。俺は断じて多汗症ではない。ただ、今日が小春日和というより真夏日だったんだ。真夏日に真っ黒いスーツを着て走れば誰も皆こうなるだろう?
荒い呼吸を整えて目の前で威圧感を放つ体育館を見上げた。まだあちらこちらで写真撮影している学生がいるところをみると、どうやら間に合ったようだ。安心して携帯電話を開くと時刻は九時四十五分。少し木陰で休めそうだ。俺は体育館横の階段に座り式が始まるのを待つ。
「今年度入学生は学科別に並んでください。」
会場のアナウンスと同時に周りの学生たちは列に誘導されていく。
「法学科はこちらでーす!」
「経済学科はこっちー!」
このような具合に上級生と思われるプラカードを持ったスーツ姿の美少女たちが誘導していく。文学部は女の比率が高いとはよく聞くが、まさか美少女比率まで高いとは。俺は淡い期待を寄せ妄想で脳内を満たし呼ばれるのを待つ。きっと、これからお世話になる政治学科もとんでもない美少女がいるにちがいない!
「政治学科はこっちよ。」
ほらきた! 俺は嬉々として顔を上げる。政治学科と書かれたプラカードを持っているのは、やはり美少女であった。ゆるくウェーブのかかった黒髪を一つで括って肩にかけている。とても色白で品のある化粧。スレンダーな体つきがスーツととても似合っている。美少女というより美女の部類に入るだろう。
そんな彼女の元に新入生が集まる。比率は男女半々といったところか。学籍番号順に二列に並んで入場する。
俺の隣になったのは、長めの金髪にピンクのメッシュ、耳にはピアスが5個程。背丈は俺と変わらないくらいだがスーツを着崩しているせいか少し小さくも見える。パッと見ホストのような、一言でいえば関わりたくない種類の男だ。
「よろしくな。」できるだけにこやかに話しかける。
「…あぁ。」どうやら彼は友人を作る気がないようだ。
隣人に若干の恐怖と不安を覚えながらも式は厳かに進行していく。
「法学科、秋田千鳥。」「はい。」「井上光。」「はい。」
なんともまぁ長い長い新入生読み上げが始まる。政治学科が回ってくるまでは寝てはいけない。回ってくるまで約30分。とんでもない苦行だ。
隣は寝ているだろうと右を向けば、あろうことか彼は起きていた。絶対誰よりも早く寝ると思っていたのに。
「…なんだよ。」
「なんでもございません。」
触らぬ神になんとやら。俺は視線の先にいるさっきの美女を眺めて苦行を耐え抜くことにした。
彼氏とかいんのかなぁ。いるに決まってんだろ。こんな美女だぞ、むしろいない方がおかしい! いやでも高嶺の花みたいな扱いかもしれない。どこぞの少女漫画のように『みんなの美女様協定』とかあったりしてな。
「政治学科。」
お、ついに俺の順番が来たか! 美女妄想で耐え抜くとか俺、最強じゃね?
「会田学。」
「はい!」久しぶりに間違えられずに呼ばれて俺はつい力んでしまった。
「中上友也。」
「はい。」隣のホストが気怠そうに返事をした。
…中上友也? え、いやいや気のせいだろ? 俺の知っている中上は小学校の同級生で真面目でメガネだぞ。ああそうさ、きっと同姓同名なんだ。
点呼も終わり、先生の有難いお説教も終わり、無事に閉会した。その間、隣の中上に話しかけるなんて勇気も出ないまま俺は一人ガイダンスの行われる教室に向かう。
「…なぁ。」
同姓同名ってなかなかいないよな、なんてことを考えていると突然背中を叩かれた。
「っ! なんだよ!」
痛いだろうが! と振り向けば金髪メッシュ男が立っている。よりにもよってこいつですか…
「会田学だな?」
「…そーですけど?」それがどうしたんだ。
「…『がっちゃん』?」
「……………え。」
なんでこいつが俺のあだ名知ってんだよ!
「学」とかいて「さとる」と読む。それを知らなきゃ俺のあだ名が「がっちゃん」だと理解できない。第一、そうやって呼ばれていたのは小学校の頃だけだ。
「あのさ、もしかして堀田小だった?」
「だったも何も、まだわかんないわけ? それともおれのことなんて忘れちゃった?」
中上が不機嫌そうに睨み付ける。
「いっいや、忘れたんじゃないんだ。ただ…」
「ただ?」
「変わったなぁって。」
成績優秀、皆の模範だった俺の知る中上はどこに消えたのか。
中上は私立のお坊ちゃま学校に行くからと卒業してから一度も会うことはなかったし、俺は俺で親父の転勤に振り回されて日本各地を転々としていた。もう会うこともないと思っていた相手の一人だ。
「あ、やっぱり?」
中上は楽しげに目を細める。よくよく見ると瞳がピンクになっている。カラコンでも入れているのだろう。
「やっぱり? じゃねーよ。てかさ、お前お坊ちゃま学校行ったんじゃないのかよ。」
「あ、それ? 中退したんだよ。」
「中退って…」
「なんていうかさ、合わなかったんだよねーそこ。ま、積もる話はたくさんあっけど、とりあえず教室行こうぜ!」
半ば強引に肩を組まれ教室に入る。
もうガイダンスは始まっていたようだ。
「遅れてすいませーん。」
中上は特別慌てもせずに席に着く。
「がっちゃん、こっちこっち!」
俺も中上の隣に座った。
最初、俺から話しかけた時とは随分キャラが違う。人見知りでもしていたのか? あの恰好で? 全くわけがわからない奴だ。
結局、中上について考えていたらガイダンスはほとんど聞かずに眠っていた。
明日から始まる日々が平和でありますように。
作品名:坂道ライフ01 入学式 作家名:槌田シロ