山籠論
6月に5泊した時は暑さと夏虫に悩まされたけれど、今回は、まず寒さだった。台風が過ぎ去った直後で、前日まで通行止めだったらしく、くねくねと続く山道に爪あとは生々しく残っていた。偶々、通れたタイミングだったのだ。
しかし雨だった。晴れ男の異名がすたれるなと思ったが、いや、そうではなかった。この寒さを連れてきたのだ。敢えて、雨であり、寒いのだ。古民家の管理人Sさん曰く、きみは、季節を連れてやって来るね、と言って迎えてくれた。そう、晴れ男を越えて、季節男なのだ。意味はよくわからないけれど。
縁側の雨戸は開けたまま、障子を閉めて畳八畳間の座卓の前で、じっとしていても、寒い。半袖を長袖に着替え、その上に半袖を着て、首にはスカーフを巻いて、インスタント珈琲を飲む。芯から冷えているので、温まった気分でも皮膚が冷たい。夕飯のご飯をお釜で炊くのだが、土間の台所がまた寒い。水道水がたぶん冷たいなと思いきや意外に暖かく感じた。山からの地下水だからまた違うのか。
さて、飯は食ったが風呂はどうする。今夜はやめよう。離れにある、薪風呂なので、暗いし寒いでは、心も寒い。雨は結構しぶとく降っているし。明日にして、さっさと床についた。
すこし曇っているが、富士山は煙った中に見える。よし、晴れる。快晴とは言わないが、昼過ぎまでもった。よしと昼寝の後、風呂を沸かしにかかった。明るいうちに入る風呂はなにか特別な気分になる。温泉地の露店風呂とはいかないが、戸を開け放っておけば、庭も空も見える。虫や鳥の声も聴こえる。紅葉も少し窓から見える。贅沢の一歩手前ぐらいには近づいている気がするのだ。
翌日も晴れた。きょうは散歩に出た。もう2週間も腰痛が治らず、散歩でもして気を紛らわせようと思った。実際、歩いている時は痛くない。稲の収穫期である。もうを干している田もあれば、これからの黄金色の田もある。そして、トンボが大賑わいだ。赤とんぼが主流なのか。少し違いがあるもの飛んでいる。アキアカネ? 子供の頃を思い出す。指を空に向かって伸ばしてみた。けれどトンボは知らんぷりだった。
ここはゆずの里であり。ゆずの木が立ち並び、濃い緑色に輝く球が実っている。収穫は11月ごろ。もうすぐだ。なにか力強さを感じる緑球に見惚れてしまった。生きているなと。
2時間近く散歩をして、遅い昼ご飯を食べた。昼はスバゲッティだ。味気ないが仕方がない。裏土間で、ひっそり食べるのもおつなものさ。さて風呂でも入ろう。この風呂がまた楽しい。朝、いつも薪のあるところを見ると割った薪がないのに気づいた。よし、昔取った杵柄とばかりに、斧をてにして薪割りをした。もう何十年ぶりか。小学生だったから40年ぶりか。要領は覚えている。まあ秘訣があるが、難しいことはない。決断力とも言っておこうか。素直に割れる薪だった。薪を割ったような性格、あれ違うか。そんなことを思いながら数本割った。
火をおこして、或る程度まではずっと見ている。面倒をみないとちゃんと燃えてくれないのよ。こう、風の流れを考えて、木に火が回りやすいように空間を作って、無駄な炎にならないように、丁寧に木を置いていく。新しい薪を入れるときも、そう。火の神様に逆らわないように、感謝の気持ちを込めてくべるのだ。「くべる」なんて知らない人もいるのかもな。
さて細い板で湯をかきまわし、「上は大火事」をなくして、まんべんなく温度を整える。あまり熱いと入りにくいので、人肌でザブンといく主義である。なので途中火の面倒を見ながらなので、ちょっとやっかい。いちいち風呂からあがるので、まあ寒い。でも火は大事。寒いなどど言っていてはバチが当たる。で、なんどか繰り返すうちに木は真っ赤なオキになる。「オキ」ってわかるかな。その余熱でじわじわと湯の温度が上がるのだ。最初は温いが、入れば入るほど熱くなる。これ最高ね。普通は入っていると温くなるので、出る頃は肌も冷えるし。必ずしもそうではないけどさ。
さて、頭も洗って、じっくり浸かる。ドライヤーがないので、その間に少しでも乾かしたいのだ。夏は良かった。いつでもどこでもまあ乾く。夕方以降はどーんと気温が下がる。二日前は気温差12度。風邪をひく前に気絶するかもね。それはさすがにないか。でも気をつけないと。山の怖いよ。
そんなこんなで今日山を下りた。ほとんど風呂の時間で終わった今回の山籠り。いろんな昆虫に会えた。帰る時は畳んだ布団の横に大きなカマキリが、オレはここにいるぞとばかりに、巨体を広げて立っていた。御挨拶、どうもありがとう。カメラを持ち出し、いろんな角度でパシャパシャ撮った。一枚は見事に眼飛ばされたが、いい顔だった。それから、ペン立てにずっとくっ付いていたのか、珍しい「カマキリ」がいたのだ。最初、なんの虫か分からずに、ひゃあと声をあげたが、よく見ればちゃんと「鎌」を持っている。ただ色が黄色で、透けた羽が背中にある。これはもしかしたら天然記念物かもと思い、これもさんざん写真を撮った。
さあ、今度は冬に来いと言われたが、今回以上に寒いのと、またいろんな虫や動物に会うのかと思うと複雑な気持ちになる。蛾の数にはほんと驚く。想像以上にやってくる。蜂だってやってくる。そうそう、Sさんは「黄色スズメバチ」に刺された。どんなものがやってくるのか。
帰り際、お風呂場の戸を開けて、その戸を開けたままにする、高所にある小さな取っ手に手をかけたら、ぐにゃっという感触。地面に目をやれば、いたいた、小さな蛙だった。アマガエルかもしれないが。皮膚の色は斑な土色。やあ、雨が上がって、さみしいかい。じきに、また降るさ。じゃあ、またね。
蛙にさよならして、帰ったのだった。