のちの思いに
あなたはそう言ってさめたコーヒーを口に運んだ。おかしいわ。本当ならそれはわたしの台詞なのに。
別れ話を切り出したのはわたしの方だった。ひとけのない午後のコーヒーショップの片隅。
「この二年間、ぼくには君が必要だった。ありがとう。感謝している」
そうね。あなたにとって、わたしが必要だったのは長い人生の中で、たったの二年間だけだった。
二人が出会ったのは、三年前のこのお店。
わたしは田舎から出てきて、専門学校に入ったばかり、あなたは大学三年生。
一緒にいた仲間の一人がふざけてあなたに絡んだとき、あなたの手がわたしのカップに触れて床に落ちた。
あなたは必死であやまって、くしゃくしゃのハンカチでこぼれたコーヒーを拭き取ってくれた。あなたが悪い訳じゃなかったのに。
でも、あなたはそういう人なの。
そのときからね。このお店で顔をあわせると、話をするようになったのは。
いつもひとりぼっちだったわたしを仲間に入れてくれて。あなたのお友だちも楽しい人ばかりだったわね。
あなたが学生結婚していることも、そのときから聞いて知っていたから、二人きりで合うようになったからって、だまされたわけじゃない。
お互いに惹かれあった。それは事実だと思う。
あなたは小説家を目指していて、行き詰まっていたのよね。だから、奥さんでは埋められない心の隙間をわたしに求めた。
去年、あなたが生まれ故郷の公務員の仕事に就いたときから、予感していたわ。もう二人の中は長くないって。
ううん。本当は違う。
何度も奥さんと別れてって、言おうと思ったかしれない。でも、そのたびに自分に言い聞かせた。
はじめからわかっていたことじゃないって。
距離が遠くなって、最初は無理して月に二度逢っていたのが一度になって、それが三ヶ月になり、やがて半年になった。
それはもう、あなたにはわたしは必要なくなったということ。
今日逢う約束をしたとき、申し訳なさそうにあなたは言った。
赤ちゃんが生まれるって。
だから、わたしは今日、きっぱりと別れようと思って来たの。せめてわたしから別れ話を言わせて。そのくらいのプライドはもっていたい。
「いつか、どこかでまた逢えるといいな」
慰めのつもりで言ってるの? でも否定したらあなたはきっと困った顔をする。
「ええ、そうね。そのときは笑って話せるといいわね」
あなたはほっとしたような表情でうなずいた。
帰り道、こらえていた涙が一度にあふれた。人目もはばからず泣いて、泣いて、泣きながら歩いた。夕暮れの人混みの中を。
そして、一晩中泣いてから、わたしはもう泣くのをやめた。
これから、わたしの新しい生活が始まる。わたしは仕事をして、恋をして。自分の人生を見つけるの。わたしにとって一番幸せな。
いつか、あなたにめぐり逢ったとき、胸を張って言えるように。
──わたし、こんなにいい人生を送ってきたのよ──って。