幸せを望む
あたしがここに立ってれば、いつかしあわせとか言うモンも、向こうから来てくれんのかな、とか思う。だってあたしはいつだってここにいたし、走ってないし、歩いてないし、まず微動だにしてないと言っても過言ではないし、だけどいつのまにかあたしがこの世に誕生してから20年も経っている。20年って。おかしいよね。しかもその20年の間なんにもなかったなんてことはないんだよ。あたしなんにもしてないけどなんにもないなんてことはなかった。そう、物事はいつも向こうからやってくる。そうしてあたしを取り巻いてうしろへ行ってしまうんだ。だからあたしいつもなんにもないままなんだ。
いろんなことがあったのに、からっぽ。からっぽなんだよ。
そう言って女は六畳間の真ん中でわらった。畳の古くなったにおいが鼻を突く。ビールの缶が灰皿のまわりに散らばっていて、気だるい午後に拍車をかけていた。女はその中のひとつに手をかけてぐいと中身を一飲みにして僕のほうを見てうっすらと笑った。その笑みはちょっぴしイッちゃっててこわかった。女の話はまだまだつづく。
あたしね、青い鳥探してんの。青い鳥。かごに入ったヤツね。かごに入れるところから探すのはめんどいから。誰かがもうかごに入れちゃったかわいそうな青い鳥探してるの。たぶんね、そいつもどっかにいて、あたしが生きてたらすれちがうときもあると思うんだ。だからそのときはしあわせを分けてもらうかわりに、あたしのしあわせも分けてあげんの。かごに入れられない、自由っていうしあわせだよ。かわりにあたしはかごに入ってるだけでいいっていうしあわせをもらう。完璧でしょ?この計画。完璧じゃない?
分けてもらってどうすんの、と聞いてみたら女はさっきより嬉しげにわらって(その笑みはやっぱり僕から見るとこわい)、そんなの決まってんじゃぁん、と言う。満たすんだよ、体の中を、あたしの中を。この通り抜けることしかできない体を満たしていくんだよ。そこにきっとしあわせはあると思うんだ。
僕にはさっぱり理解のできない理論を組み立てて女はわらう。そして突然わっと泣き出した。なんで、なんで、なんであたし、しあわせになれないの。なんもわるいことしてない、いいこともしてないかもしれないけど、ちゃんと生きてるじゃない、死のうとしたことだってない、この体使い切る努力してるじゃない、なのになんで。かなしみだけが背中を濡らす。どうせなら頭の先から足の先まで濡れてしまえればよかった、そうしたらあたしはかなしみだけになれたのに、背中だけ。背中だけだからまだ期待してしまうの、ねえ、しあわせになりたいよう、青い鳥はどこにいるの。
あんまりに女が必死の形相でうったえるので、僕はどう応えようかと逡巡した。歩いてみれば、とか言うのはなんだかちがう気がしたし、そもそも僕には背中が濡れていく感覚なんてものはわからない。言ってみれば突然雨に降られたとき、物理的に濡れたときくらいのものだ。頭の中で彼女がずっと背中だけ濡れているというのを想像するとちょっと笑えた。それはなんというか、ひどく汗をかいてるときみたいな感じじゃないか。いや、もしかしたらそういう感覚なのかな。必死さから考えるとそうなのかもしれない。
じゃあ君は、僕がいてもしあわせではないの、と聞いてみると、彼女は涙だとかいろんなものでぐしゃぐしゃのままの顔を上げてちょっぴり笑った。そういう問題ではないんだよ、と言う。あたしのかなしみはあたしのかなしみ、あなたが埋めれるのならあたしのかなしみではないわ。では、現実世界のなにかでは埋められないの、そう聞いてみると、よくわからない、と言う。なので僕は、転がっていたティッシュの箱から、何枚か紙を取り出して、花を作って見せた。幼稚園のお遊戯会なんかで作る、あれだ。あげる、と言ってむりやりに手を掴んでその上に乗せてやると、彼女は長い髪をかきあげて、ありがとう、とほほえんだ。