夢の後で
「帰るの?」
後ろからちょっとくぐもった声がした。
「起こしちゃった?ごめんなさい」
「いや…」
「見付からないうちに帰るわ。もう電車も動き始めるし」
「うん…」
ブラシを髪に簡単に通し、テーブルの上の眼鏡をかける。勿論化粧なんかしない。
上半身を起こして、動き回る私を目で追う貴方に
「寝てていいわ。今日久しぶりの休みなんでしょう?」
「そっちもだろ」
まだ声が寝ぼけている。
ベッドに片膝だけ乗り上げ、くしゃくしゃの髪に軽くキスをして
「じゃぁね。また明日」
玄関先には男物の靴ばかりだ。
そこに私のサンダルが違和感を放って脱がれてある。
その違和感のあるサンダルを履き、私は外に出る。
玄関の鍵をかける。かちゃり、という音と共に昨日が終わり、今日が始まる。
全身が気怠い。
昨日は何時に部屋に着いて、何時に寝たんだろうか。思い出せないし、ふたりになった後はもうそんな事関係ない。
電車で寝過ごさないように気を付けなくては。
別に後ろ暗い関係でもないのに、何となく道の端をこっそり歩いて駅に向かう。
電車を乗り継いで自分の部屋に着く頃には、早めの出勤の人達が駅に向かい始めていた。
さっきとは違う鍵で玄関を開ける。
しん、と静まり返った部屋。昨日の朝、私が出て行ったその時のまま。
この玄関に私のサンダルを置いても、違和感はない。
突然ぽつりと、ひとりぼっちになった気がする。
全身の気怠さも、さっきの寝ぼけた声も、全部が夢だったような。
さっきまで徹夜で仕事をして、今部屋に帰り着いたような。
貴方の存在さえも。
疲れてるんだわ。
ひとりごちて、とりあえず窓を開けようと、部屋に入る。
テーブルの上のアクセサリーを入れておく小さなプレートに、やたら幅を利かせる男物の時計。
先週、忘れて行った物だ。
仕事場でほぼ毎日顔を合わせるのに、いつも持って行くのを忘れてしまう。
その時計が思い出させた。
少なくとも…貴方は夢じゃない。