新世界
ロイの追放のことは国外には知られていない。そればかりか、国内でさえ真相を知っているのは、軍務省に所属する一部の人間だけで、海軍部長官の突然の交替には、宰相室にも国内外から問い合わせが来たほど、内密に処理されたことだった。
「弟は第三皇女のマリ様と懇意にしていた。恋人同士だった。当初は二人の関係を皇帝にも隠していたが、それを皇妃に知られ、皇帝にも知られることとなった」
「それで追放に……?」
「いや、その時は婚約を許された。マリ様とロイは婚約の準備まで進んでいた。……それが第一皇女フアナ様と第二皇女エリザベート様が急逝なさり、皇帝にとっては事情が変わった。二人の皇女が亡くなったことで、皇位継承者はマリ様に移って……。元々、フアナ様は第一皇位継承者とはいえ虚弱だったから、皇帝はエリザベート様が皇位を継承すると考えていた。だから、マリ様にはそうした教育を一切施してこなかった。それで、政治に明るい人間が結婚相手に相応しいということになり、弟よりも宰相である私の方が相応しいということになって、弟との婚約は解消された」
「……何だ。その勝手な理由は」
「レオンが言っていた通りだと、私はその時初めて痛感した。君主制では皇帝の命令は絶対で、逆らうことは出来ない。……それに私自身も権力を欲したことは事実だ」
「ルディ……」
「あの時、私が宰相を辞することになっても、ロイに味方してやれば良かったのだと、酷く後悔した。ロイはこの帝国と私に愛想を尽かし、マリ様を連れて共和国に亡命しようとした。だが、途中で捕まって追放に処せられた」
そうだったのか――と、レオンは静かに言った。
思えば、今回のこの事態は自業自得なのだろう。そして私はきっと宰相の器ではなかった。
車は山道を進む。先程から携帯が何度か鳴っていた。ポケットからそれを取り出して画面を見る。フリッツからだった。心配しているのだろう。私が電話に出たら、こうして逃亡中の私と連絡を取ったということで、ロートリンゲン家に疑惑がかかることになる。もう電源を切っておくことにした。
辺りを警戒しながら先を急ぐ。どうやら追っ手はまだ来ていない。おそらくヴァロワ卿が上手く操作してくれているのだろう。
薄暗がりのなか、一軒の店が見えた。燃料の補給はまだ大丈夫だ。しかし食糧品を全く用意していない。これから山道も多く、店も少なくなる。それに、憲兵達の捜査網も拡大されるだろう。今のうちに必要な物を買っておいたほうが良さそうだ。
「食糧品を買っておこう。まだ捜査はこの辺りにまで及んでいないようだから、車を降りても大丈夫だろう」
私は全てが吹っ切れてしまったのかもしれない。
既に帝国では追われる身となっているというのに、心はとても落ち着いていた。不安は何ひとつなかった。むしろ、皇帝の意向が変わるのではないかと、あれやこれやと画策していた頃の方が、不安に駆られていた。
「ルディ。俺が見張っておくから、少し休んでくれ」
車はオートモードだから、運転手が居なくても問題は無い。だが、いつ憲兵達が追いつくか解らない今は、見張りが必要だった。
「先に休んでくれ。私は後からで良い」
「俺はここ数日、充分に休んだから大丈夫だ。ルディの方が疲れ切っているようだ。顔色も少し蒼いぞ」
レオンは先程、店で購入したブランケットを取り出して、私に手渡す。この数日は睡眠時間を充分に取ることが出来なかった。それに加えて、今日は随分動き回ったから、身体は少し疲労を感じていた。
今、倒れる訳にはいかない。そのためには休める時に休んでおかなければ――。
「では先に休ませてもらう。何かあったら起こしてくれ。ああ、それからこの拳銃を……」
胸の内側から拳銃を取り出し、レオンに手渡す。後部座席の下に剣もある、と告げるとレオンは拳銃を側に置いて、解ったと頷いた。ブランケットを身体にかけて、座席を少し後ろに倒す。自ずと溜息が漏れた。
「大丈夫か? 少し車を停めて休もうか?」
「いや、大丈夫だ。……今日は動き回ったから少し疲れが出たようだ」
こうして移動している最中に体調を崩したら、レオンに迷惑がかかる。私の身体のことは、レオンに伝えておくべきだろうか。
「ルディは随分身軽に動くけれど、入隊しようとは思わなかったのか? ロートリンゲン家は武門だというし、軍人となるよう勧められなかったのか?」
どう伝えようか――考えていたところへ、レオンに問い掛けられて、思わず苦笑した。私の身体のことを知らなければ、レオンの質問は尤もなことだった。だが、今迄私はそうした質問を投げかけられたことは無かった。何故、軍務省に入らなかったのか――生まれつき身体が弱いという事実を知っていた者もいるが、そうでない者達も何らかの理由があるに違いないと考えて、私に気遣い何も聞いてこなかった。
「身体が丈夫ではないんだ。先天性虚弱――、身体が周囲の環境に敏感に反応してしまう」
「君……が……?」
「ああ。私は生まれた当初、成人出来るかどうか解らないとまで言われていた。幼い頃は一年の大半をベッドで過ごして、殆ど外に出ていない。学校も高校までは通っていなかった」
レオンは驚いた顔で私を見つめた。そんな風には見えない、と言ってくれた。
「この病は地球環境に関係するということ以外、何が原因となっているのか解らず、根治方法も無い。病状も個人差が大きい。私は成長と共に少しずつ症状が治まってきて、両親に頼み込んで高校に通わせてもらった。士官学校は私のような身体では受験出来ない。だから父は、私ではなく弟に望みを託した。そして弟は、父の期待に応えて、中学卒業と同時に士官学校の幼年コースに進んだ」
「そうだったのか……。悪いことを聞いたな」
「マルセイユに居たのも療養のためだった。昨年、多忙が重なってついに倒れてしまって……。なかなか完治出来ず、医師と弟に勧められて空気の良いマルセイユの別荘に移った」
「……ではあまり無理のきく身体ではないのだろう。俺の周りにも先天的虚弱体質が何人か居る。少し環境が変わるだけで体調が悪くなる――と。大丈夫か?」
「此処もこれから向かう先も、帝都より空気が良いから大丈夫だと思う。……だが、レオンの足を引っ張ることになるかもしれない。その時は構わず置いていってくれ」
「馬鹿なことを。そのようなことが出来る筈が無いだろう」
レオンは眉を顰めて言い返す。思えば、レオンはエスファハーンで、部下達と共に最後まで戦った人間だった。私は笑みを浮かべて、話を変えた。
「新環境法があるとはいえ、この体質の者が近年は増加傾向にあるというが、やはり共和国でも多いのだな」
「近所に住んでいた友人もそうだった。俺の祖父もあまり丈夫ではないのだが、今も元気に過ごしている」
「私は祖父母も両親も既に亡くなっているが、レオンの御家族はまだ健在なのか?」
「両親は俺が子供の頃、電車の脱線事故で亡くなったけど、祖父母は健在だよ。俺とテオは祖父母に育てられたんだ。あ、テオというのは俺の弟の名だ。今、軍部に所属している」