新世界
昨日、ヴァロワ卿にマリの遺体安置場所を教えてもらい、其処に向かった。マリの姿は変わり果てていた。白骨化が進み、見た目ではマリとも解らないぐらいに。
だが、その首にはネックレスが、薬指には指輪が嵌められていた。両方とも、俺が誕生日にプレゼントしたもので――、その遺体は間違いなくマリだった。
一時間、其処でマリと共に過ごした。悲しくて、自分が情けなくて、泣き崩れた。
検死の結果では即死だという。痛みを感じるまも無かったとはいえ、怖かっただろう。足を滑らせて、滑落した時の恐怖といったら無かっただろう。
俺は、側に居てやれなかった――。
だからせめて……。
せめて、俺の近くに葬ってやりたい。
ロートリンゲン家所有の墓地がある。後日改めて、その墓所に埋葬することにした。その前に、まずはマリの棺を用意し、マリの好きだったフリージアやスプレーマムで棺のなかを満たした。
胸にぽっかりと空いていた隙間が、悲しみで埋められたかのようだった。しかし同時に、これまでやりようなかった気持が埋まったようにも思えた。悲しみと共に、有耶無耶とした気持の整理がついた。
『ありがとうございました。ヴァロワ卿』
『……まだ此処からは遺体を出すことが出来ないが……』
ヴァロワ卿は棺に向かって最敬礼した。そして昨日は、俺はそのまま帰宅した。
「……皇帝は海には出ていないらしいな」
「……ええ。先刻、フェイから聞きました。海上はアジア連邦が見張っているようですが、小船のひとつも通っていない、と」
「そうすると、まだ国内に居るということか」
「それが濃厚でしょうね。時期を見計らって、国外逃亡を謀るのだと思います」
「北に向かっていったという情報は得ているが、それ以上は解らない。……まさかあれ程巧妙に逃げ失せるとは……」
ヴァロワ卿は、トニトゥルス隊の隊員に皇族専用の通用路の出口を見張らせていたらしい。しかし、途中で見失ったとのことだった。
「ヴァロワ卿、明日からは私も捜索に加わります」
「いや、お前は帝都でヘルダーリン卿と共に治安維持に回ってくれ。あと、フェイ次官との交渉にも立ち合ってほしい」
話すうちに、車は邸に到着する。車を降りると、ヴァロワ卿は後部座席から、花を取り出した。ルディへの見舞いを何にするか悩んだ末、花に決めたらしい。外に出ていないから、花を見るのも偶には良いだろう――そう言っていた。
ヴァロワ卿と共に部屋に行くと、ルディは眼を覚まして待っていた。ヴァロワ卿は見舞いの花を側に居たミクラス夫人に手渡す。ルディは、綺麗な花をありがとうございます――と嬉しそうにそれを眺めて言った。
「ヴァロワ卿……。大変なご迷惑を……、おかけしました……」
「気にするな。今はゆっくり身体を休めることだ。早期復帰のためにもな」
ヴァロワ卿の言葉にルディは曖昧に笑んだ。一息置いて、ルディは言った。
「私は……、復職しません……」
「何を言うんだ。宰相が復帰しなければ……」
復職しないということは初めて聞いた。何故、そのようなことを言うのだろう――。俺も驚いて、ルディを見つめていた。
「間違いを……犯しました……。それに……、この国の……将来のために……も……」
ルディは呼吸のために少し間を置く。ヴァロワ卿を見つめ、笑みを浮かべた。
「議会に……力を……。行政権を……、議会に……」
「宰相……」
「フェルディナントと……呼んで下さい……。嘗ての、ように……」
ルディは本気なのだろう。
快復しても、復職するつもりは無い。だがそれは、ルディから全てを奪ってしまわないか――。
「もし……、許される……なら……、回復したら……、長閑な……場所で、子供……達に……、何か教えながら……、暮らしたい……と」
ルディは再び息を吸い込む。そしてヴァロワ卿を見て笑んだ。
「ずっと望んでいた世界が漸く動き出すのにか?」
「だからこそ……です。……私は、旧体制の……遺物、です……。政庁に……留まって、は……、変化が……起き難く……なる……から……」
ヴァロワ卿は暫くルディを見つめた後、穏やかな微笑を浮かべて、そうかと頷いた。
「ならばその願いを叶えるためにも、早く回復しなければな」
ルディは微笑み返して頷いた。
ヴァロワ卿はそろそろ失礼する、とルディに告げる。十分程度の滞在だったが、もうルディの限界が近付いていた。
「今日……は……、ありが……」
「私も会いたかったのだから、礼は要らない。それよりも早く治して元気な姿を見せてくれ」
ヴァロワ卿を見送るために部屋を出ると、ミクラス夫人が部屋に入っていく。まだ容態が急変する危険があるから、ルディの側には常に誰か付き添っていなければならなかった。きっとルディはもう休んでいることだろう。
廊下を歩きながら、ヴァロワ卿は深刻な表情で此方を見て言った。
「具合が悪そうだ。手術を早めることは出来ないのか?」
「ルディの体質では、他人の臓器を移植することが出来ないのだそうです。それに……、もう少し体力をつけておかないと手術に耐えられるかどうか……」
ヴァロワ卿は神妙な面持ちで、心配だな――と呟く。
俺も不安を抱いていた。少しずつ回復の兆しが見られる――と言っても、ルディの状態はあまりに悪くて――。
途切れ途切れにしか言葉を紡ぐことが出来ない。意識が途切れていくかのように、話しながら眠りにつくこともある。
あと二週間――。
ルディの細胞から培養している心臓と肺は、着実に形成されつつあるとトーレス医師は言っている。あと二週間で完全な形となるだろう、と。
それまでどうにかルディの身体が保つように――。
ひたすらそれを願った。
そうした俺の不安をかき消すかのように、ルディは確かに少しずつ良くなっていった。身体を起こすことは出来ないが、食事の量が増えてきたとミクラス夫人は嬉しそうに言う。栄養を摂った効果が現れてか、顔色も随分良くなった。トーレス医師もこのまま体力を回復出来れば、手術も問題無いだろうと言っていた。
ヴァロワ卿の来訪から四日後、共和国のアンドリオティス長官がルディの許に見舞いに訪れた。
「やあ、ルディ」
レオンが見舞いに来ることは、ロイから聞いていた。忙しいのに大丈夫だろうか――とは思ったが、会えることの喜びの方が大きかった。
リヤドでの別れ際、また会おうとは言ったものの、あの時の私はレオンと再会出来るとは考えていなかった。皇帝の不興を買うことを承知のうえ、どのような処分を受けても構わないと覚悟を決めて、宮殿に戻った。
それが――、こうしてまた会えるとは。
レオンは私と別れた時と何も変わっていなかった。私の側に歩み寄ると、具合はどうだ――と尋ねて来る。
「大分良くなった……。レオン、私は礼を言わなくては……」
「礼を言うのは俺の方だ。命を賭けて俺を助け出してくれた。君が脱出させてくれなければ、俺は今この世には居ないよ」
「レオン……」
私は――。
もっと早くレオンという人間と出会いたかった。