新世界
第1章 開扉の刻
もし――あの時、別の道を求めていれば。
何度この仮定を考えただろうか。私が道を違わねば、きっと今とは違う状況となっていただろう。少なくとも私は後悔せずに済んだ。
後悔しても今となっては、もう何もかもが遅すぎた――。
2039年、小惑星が地球に衝突した。
それより約40年前に、この事実は報じられていた。ところが当時は多くの科学者達によって、小惑星の軌道から計算しても衝突することはないと結論付けられていた。
しかし、小惑星は突如として軌道を変えた。それを知った当時の国連は宇宙空間に避難所を設置することをただちに決定した。アメリカ航空宇宙局を中心として、作業が開始された。民間の宇宙船も実用化されるに至った。だが、それらは全て衝突の一年前のことだった。
小惑星の大きさは約7.8kmで、太平洋の南側に落下すると推測された。さらに専門家達が被害の規模を推測した結果、地球上の全ての大陸がその地形を大きく変えるだろうことが判明した。地球上の人口と照合しても、避難所の創設も宇宙船も、到底、地球全土の人々を救えるものではなかった。したがって、宇宙船に乗り込む権利を与えられたのはごく少数の人々だった。それ以外の人々には比較的被害が少ないと見積もられたユーラシア大陸西部とアフリカ大陸への緊急避難が提示された。この二つの大陸には、多数の避難所が設けられた。確実に被害を受けると解っていても、避難を拒む者も居た。惑星衝突の事実を知らない者も居た。自発的に宇宙船を買い付け、宇宙へと飛び出す者も居た。衝突までの一年間、世界は嘗て経験したことのないほど動揺し、その対策に追われていた。
何とかこの地球に安全に留まることは出来ないか――。
宇宙に逃れて生命の危機を脱することが出来ても、それ以後の生活には多分の不安があった。そのため、人々は小惑星を爆破しようと試みた。しかし失敗に終わった。自然の力は人間の力に及ばないことが世界に知らしめられ、あとは祈ることしか残されていなかった。誰もが地球に衝突する直前で軌道を変えてほしいと願ったが、その願いも空しく、小惑星は地球に衝突した。2039年4月3日のことだった。
惑星の衝突によって、地球は一時地獄と化した。巨大隕石は太平洋上に落下し、南北アメリカ大陸とオーストラリア大陸、ユーラシア大陸の大部分を焼き尽くした。衝突前、陸地の面積は1億5300万平方キロメートルあったが、焦土となった大地を除くと、4010万平方キロメートルにまで激減した。隕石の落下した太平洋は蒸発した。また、惑星衝突の被害を直接受けることなく残ったユーラシア大陸の3分の1は大地震が生じ、それによってアフリカ大陸と陸続きとなった。当時の専門家の予想通り、大陸はその形を大きく変えることとなった。後世になって、その地形が片翼の形に似ていると表現されることになる。蒸発した太平洋は年月と共に陸となった。しかし其処に自然の息吹はまだ無かった。
宇宙に飛び立った人々は、変わり果てた地球の姿を見て、最早地球に帰ることは不可能であると考えた。そして、宇宙に都市を建設し始めた。ところがそれは当初から行き詰まった。
緊急の避難場所として設けられたその場所には何の資源もなく、ただ無機的な空間が広がっているにすぎなかった。やがて人々のうちの一人が提唱した。此処から見る限り、アフリカ大陸とユーラシア大陸の一部は居住出来そうな環境にある。其方に移り住まないか。避難していた人々もきっと生き残っている筈だ――と。
アフリカ大陸とユーラシア大陸はその形を変えてしまったとはいえ、まだ自然が残っていた。大西洋も残っていた。住めるかもしれない――と考えると、人々は我先にと地球に戻る準備を始めた。
そして宇宙に飛び立った人々は、地球に戻って来た。地上にて避難していた人々も約半数が命を落としていた。生き残った人々は次々と押し寄せる災害に耐えながら暮らしていた。衝突前と比べると環境変化も著しく、従来からの温暖化も相俟って、地上は最早楽園とは言えなかった。都市機能も充分ではなかったが、其処は宇宙空間よりも住みやすい場所であることには違いなかった。
人々はすぐに土地の確保を始めた。資源の豊かな土地を奪い合うこともしばしばだった。だが、大地震や洪水が生じるたび、人々は手を取り合って苦難を乗り越えた。
一方で、隕石の落下地点に近しい場所には近付くことも出来なかった。其処は焦土と化していた。開発の術を知っていても、それを実行に移すことは出来なかった。また地球に資源も非常に少なく、折角地球に戻ってきても飢餓により命を失う者も少なくなかった。
時は経ち、人の歴史に違わず、人々は新たな大地で新しい国を建設し始めた。
惑星の衝突により滅亡の危機という絶望的な状況を経験したからだろう。多くの人々は強い指導者を必要とした。そのため、君主を抱く国が多く建設された。新たな指導者のもとで、新たな国作りが始められ、国境を定めることに各国が奔走した。こうなると次に戦争が始まることは誰の眼にも明らかなことだった。そしてその危惧の通り、各地で戦争が勃発した。
大規模な戦争が起こった結果、その翌年に気温が5度も上昇し、海面も上がって陸地を浸食するという事態が生じた。ミサイルを撃ち合い、土地を荒らしたせいで作物も不作となった。このまま戦争を続ければ、地球はすぐに人の住むことの出来ない土地となってしまう。何処からともなく停戦が呼び掛けられ、人々もそれに呼応して戦うことを止めた。
そしてこの時、各国の全権を担った者が初めて一堂に会して、会議を開いた。環境に対する取り組みについて話し合い、其処で画期的な法案が可決された。地球を維持するための新環境法とそれは名付けられた。それぞれの国の二酸化炭素排出量は人口を考慮して制限されることとなった。これにより、森林の無闇な伐採は暗黙のうちに否定され、開発にも制限が加わった。
この法案によって重要なことがいくつか決められたが、特筆すべきは次の二点だった。一点目は、核兵器ならびに一切のミサイルの製造禁止が取り決められたことである。核兵器を使えば、広大な土地が荒れ野原となり、資源を失うことになる。さらには気温を上昇させてしまう。現在保有する核の廃棄ならびに開発の停止はすぐに実行に移された。この条項に異議を唱える者も少なくなかったが、核保有国にはその国の代表者の逮捕ならびに領地を没収するという厳しい罰則が付せられた。それでもこの条項が可決されたことは、人類の歴史において画期的なことだっただろう。地球が滅亡するかもしれないという危機を経験した人々は、環境を破壊することの恐ろしさを、身をもって知っていた。
二点目は開発に制限が加えられたことだった。環境を配慮したものだけに開発が許可された。そしてその認可は国際会議を通して各国の理解を得てからでなければならなかった。
地球滅亡を経験したからのち、国際会議は超国家的存在となり、其処で取り決められた法案は絶対的なものとされてきた。