「旅立ちの儀式」
気になり始めると、どんどん気になって、
切らずにいられない気持ちになる。
「あぁ、もうだめ。美容院に行く!」
そう考えて財布を持って飛び出した。
「襟にかからないくらいに切って下さい」
そう言って鏡の中の自分を見た。
肩のところで跳ねている髪。
誰にも撫でられず愛おしまれずにここまで伸びた髪。
ざっくりざっくり切られていく。
「この前髪を切ったのはどのくらい前ですか?」
担当している青年がハサミを動かしながら聞いてきた。
彼の金色に染めた髪がふわっと揺れていた。
「切ったのは、この前の恋が終わった夏。」
そう言って鏡の中で視線を合わせて、ふふっと小さく笑った。
「この前切ったのは、去年の夏。変なこと言って困らせたかな?」
そんなことを言いながらでも、私の髪は切られていく。
私の周りには、木の葉のように散ってしまった髪が、
円を描いて渦巻いていた
「でも本当なの。大好きだった人が突然いなくなってしまったから。」
恋を失った時、長かった髪を思い切ってショートカットにしたのだ。
それからずっと手を入れずにここまで来た。
失恋以後、私の髪は誰の手にも触れず、そのまま放って伸びるに任せておいた。
「きれいな髪なのに、もったいないですね。」
そう鏡の中の私から視線を外して、青年は言った。
「そうね、また伸ばしてみるわ。誰かに撫でてもらえるようにね。」
鏡の中の自分に向かって私は言った。
そこに映っているのは、もう以前の私ではない。
髪を一緒に過去を切り捨てた新しい私。
でもつい手で髪を後ろに払う仕草をしてしまう。
そこには、もう髪がないのに。
古い恋と一緒に捨てた髪。
私の新しい旅立ちの儀式は30分ほどで終わった。
切り捨てられた髪を踏み越え、椅子を降りた。
店を出る時、コートを着せかけてくれた青年が耳元で囁いた。
「また恋人を見つけて優しく撫でてもらって下さいね。
そして、その恋が終わったらまた僕が切ってあげましょう。」
了