傀儡師紫苑(2)未完成の城
彪彦の口元がつり上がった。相手の言葉を受けて、愁斗の手から妖糸が放たれそうになったが、先ほどの約束があるので手はゆっくりと下ろされた。
「僕に何か用?」
「いいえ、近くに用事がありましたので、あなたがどんな人物かこの目で確かめたかっただけです」
この影山彪彦はこの辺りで最近起きている怪事件の調査のために組織から派遣されて来たのだった。だが、愁斗にしてみれば自分を始末しに来た刺客と思えた。
「僕に直接用があるわけじゃないんだな、ならいい」
愁斗は彪彦に背を向けて屋上を出ようとした。聞きたいことは山ほどあるが、今の愁斗には守りたいひとがいる。そのひとに危害が及ぶのはどうしても避けたい。
「お待ちなさい、愁斗くん」
彪彦は愁斗を呼び止めた。
「わたくしに聞きたいことはないのですか? 失礼ながら、そこにいる子との会話を最初から聞いていたものでして、なぜ組織があなたを泳がしているのかでしたよね?」
会話を最初から聞かれていた。そのことに愁斗は衝撃を受けた。相手の気配を全く感知できなかったのだ。
何も言わずに屋上を出て行こうともしない愁斗を見て、彪彦は話を続けた。
「組織は麗慈くんのことを必死になって探していましたり、組織のトップが代わったりといろいろとありましてね。愁斗くんを泳がせるように命じたのは新しくトップに成られた方の命令でしてね、最近の組織は丸くなったものですよ」
愁斗はこの話を背中で聞き、何も言わないまま屋上を出て行った。
残された彪彦はずれたサングラスを直して、後ろにいた撫子の方を振り向いて口元をつい上げた。
身体全体がゾワゾワとした撫子は大きく後退りをして身構えた。
「用が済んだんにゃら早く帰ってよぉ〜!」
「あなたは今までどおり愁斗くんと仲良くしていなさい、というのが組織の命令です。では、またいつかお会いいたしましょう」
「会いたくにゃいよ〜ん」
撫子があっかんべーをしたのを見た彪彦は風のように走り、屋上を囲んでいる高いフェンスをひと飛びに越えて下に落ちて行った。
今日は終業式がメインだったので学校は午前中に終わった。太陽はまだ一番上まで昇りきっていない。
撫子は軽やかにフェンスに登り腰を掛けると、遠くの町並みを眺めた。ここからでは活気に溢れているのかいないのかわからない。絵に描いた町を観ているようだ。
撫子は目をつぶり、息をゆっくりと吐いた。
二年次の二学期に撫子はこの学校に転校して来た。転校の理由は、組織を逃げ出した紫苑が学校に潜伏しているかどうかを調査するため。正確には愁斗が紫苑であることを確認するために組織から派遣されて来た。
撫子はその後、愁斗と同じ部活に入部して翔子と友達になった。それは撫子にとってはじめての友達であった。組織の実験生物として育てられた撫子には、それまで友達と呼べる存在がいなかったのだ。
そして、撫子はその友達を裏切った。だが、撫子は裏切り切れなかった。
「もうすぐクリスマスかぁ〜、翔子と愁斗クンの仲は進展してるのかにゃ〜?」
想いに耽る撫子の眼前に黒い影が現れた。その影は影山彪彦であった。
「わっ!? にゃ、にゃに?」
撫子は身体を滑らせて地面に落下しそうになってしまった。
右手を高く掲げて舞い上がって来た彪彦の右手首には黒い翼が生えていた。この翼は彪彦の肩に止まっていた鴉が変化したものだ。
「申し訳ありません、驚かせてしまって。言い忘れていたことがありました。わたくしが調査している事件の調査をあなたにも手伝ってもらわねばならなかったのです」
そう言えば、彪彦は先ほどの話で怪事件の調査に来たと言っていた。
撫子はあからさまに嫌な顔をして相手の態度を伺うが、サングラスの奥の瞳は何を思っているのかわからない。
「調査ってにゃにすればいいの?」
「そんな嫌な顔をしても駄目ですよ。あなたには拒否権はありませんからね」
もっと嫌な顔をする撫子だが、これが彼女にとって最大の抵抗だ。彼女は組織に直接牙を向けて逆らうことはできなかった。
「それでアタシはにゃにすればいいんですかぁ〜?」
「ネバーランドとその世界を創り出す能力を持った子供たちの調査をしていただきたい」
「ネバーランドって?」
撫子はその名をはじめて耳にした。
「有名な架空の国の名前ですよ。いくら組織に飼われていたからとはいえ、このくらいの一般知識ぐらいは覚えておいてください」
「はぁ〜い」
彪彦は話を続けた。
「この世界で最も有名なネバーランドは童話ピーターパンに出て来るもので、簡単に説明するといつまでも子供の姿でいられる国のことですね」
「そのネバーランドがどうしたの?」
「我々の組織が大規模な実験によってしか創れない異世界を創れる子供がいるそうなのです。その子供が創った世界のことを誰が呼びはじめたのかネバーランドと呼びます。あなたにはその調査をしてもらいます」
過去に一度だけ撫子は異世界を訪れたことがあった。その異世界はこの世界と何も変わらず、そこが異世界だと言われても信じられないくらいだった。
彪彦の腕に付いた黒い翼が大きく羽ばたいた。
「では、失礼します」
「あ、ちょっと待って、情報は!?」
「あとは、ご自分で調査なさい」
ずれたサングラスを直した彪彦は地面にゆっくりと降下して行き、姿を暗ませてしまった。
「爆裂めんどくさいにゃ〜」
フェンスから降りた撫子は頭の後ろに腕を回しながら屋上を出て行った。
愁斗が学校の正門を抜けて少し歩いたところで、笑顔の翔子が待っていた。
「愁斗くん、一緒に帰ろう」
「うん、そうだね」
二人は付き合いはじめて一ヶ月以上の月日が流れるが、一応周りの人たちには秘密になっていて、そのことを知っているのは愁斗と翔子の所属する演劇部の先輩二人と撫子だけである。だが、最近は学校で一番カッコイイと言われている愁斗が翔子と付き合っているという噂が蔓延しはじめて、隠すに隠せない状況になって来ていた。
明日から学校が冬休みを向かえることで、翔子は愁斗と長い時間一緒にいられることを楽しみにしていた。
二人はアーケード街に差し掛かった。もうすぐクリスマスということもあり、そこら中がクリスマスの色に染まり、どこからかクリスマスソングが流れて来る。
「ねえ、愁斗くん?」
翔子は愁斗の顔を覗き込んだ。だが、愁斗は全く気がつかないようで、遠くの何かを見つめていた。
「ねえ、愁斗くん?」
もう一度翔子が呼びかけると、愁斗ははっとした表情をして振り向いた。
「あ、ごめん、なに?」
「なに見てたの?」
「いや、別に、ちょっとぼーっとしてただけだよ」
これは嘘だった。愁斗は遠くを歩いていた少年を見ていた。その少年から愁斗は只ならぬ魔導の力を感じたのだ。
少年の年は愁斗よりも年下で、小学校高学年くらいに見えた。その少年も愁斗に気がついたようで、愁斗と目が合った時に笑った。そして、姿を消した。
愁斗の目に焼きついてしまった少年の笑顔はとても不気味だった。妙に大人びている妖艶な笑い。魔導の力を持ったものは人間ならぬ妖艶な魅力を纏うことが多い。
「愁斗くん?」
「あ、ごめん、またちょっとぼーっとしてた」
作品名:傀儡師紫苑(2)未完成の城 作家名:秋月あきら(秋月瑛)