六日月の兄弟 前篇
そういえばかつての美濃の太守・斉藤道三様や織田右府様も曲舞の名手であらせられたらしゅうございますなあ。ですが私の知る限り、最高の名人は吉川元春様、小早川隆景様の御兄弟でありましょう。
そのような噂は聞いたことが無いと?
それはそうでございましょう。私を含め、ほんの数人しか観た者はおりませぬ。その数人のうちでさえ、その舞いの見事さに気づいた者が何人いたことやら・・・・
「このような馬鹿馬鹿しい光景、そうそう見られるものではない」
苦い塊を吐き捨てるように吉川元春は言った。
眼前の湖にぽっかり浮かぶ天守閣と数棟の櫓、矢倉。それぞれに鈴なりにちかく人が寄りたかっている様子を、羽柴軍の無数の篝火が明々と照らし出す。
天正十年五月も末近く、備中高松城の守将・清水宗治以下五千の兵は、なすすべもなくただ迫り来る水に耐えていた。
寄せ手の織田家の将・羽柴秀吉による、高松城の周りに土嚢を積み上げ、城の西側を南流する足守川を梅雨の増水期を利用して決壊させ、城そのものを人造湖に沈めてしまうという前代未聞の作戦は、領国をこぞって城方の救出にきた毛利軍三万の兵をもってしても如何ともなしえなかった。
「羽柴の本陣を急襲し、決戦を挑むほかなし」
毛利家きっての勇将・元春の呻きはいよいよ低い。内なる激情を懸命に抑えているようであった。
猿掛山の本陣から前線視察と軍議のため出張っていた元春の甥である総帥・毛利輝元と元春の実弟である山陽道総司令官・小早川隆景は沈黙していた。
本陣奥の床几に座した輝元は、でっぷり肥った頬を青ざめさせ、狭い額に汗の玉を浮かべている。
輝元の向かって左の盾板に隆景が座り、その正面にいる元春から見れば、、篝火に照らされた左目は理知的な光を帯び、右の目は半身が纏った影に沈んでその表情は窺えない。 ただ、隆景の周囲だけ温度が低く、空気が乾いていた。
誰も元春の言葉に応えず、重い沈黙の数瞬が過ぎた。
「因幡・伯耆・出雲・備中・美作の五カ国を織田に差し出そう。引き換えに清水殿と城兵五千の命、返させるのだ」
静寂を破った隆景の言葉には、良くも悪くも芝居気は皆無であった。事実から導き出した解を淡々と述べている感があった。
毛利家の版図の半分を五千人を助ける対価にしようというのである。軍議の場にいる者は皆目を見張った。
ただ独り、元春を除いては。
元春様、隆景様お二人とも、どうにもならぬことはご承知でした。
毛利軍三万をもって羽柴軍と決戦しよしんば勝ったとしても、毛利軍の痛手は相当の筈です。羽柴軍の後ろには織田家の十万を超える兵が控えておるのです。
ここにいた三万が毛利家の全兵力でございました。
ですが、毛利家に忠誠を誓う清水宗治殿ら傘下の豪族・国人衆を見捨てることは、内に向かっては信義のみを旨としてきた毛利家にとって、足許を掘り崩す行為に他なりませぬ。
斜陽とはいえ、毛利家は山陰山陽十カ国の太守であり、その家中には己が身何より大事と思う者、武門の意地貫いて闘うべしと叫ぶ者、何にも思い至らず立ち尽くす者など数多おり、それぞれ個々に対して貫かれる信義こそが拠って立つ所でございます。それ故、元春様、隆景様どちらの意見もすんなりと通すわけには参らぬのでございます。
それも承知のお二人は、だからこそこの場で一歩も退かなかったのでございます。
「それはならぬ、隆景殿」
元春は実の弟にも常に対等な態度で接した。
「和を議するにせよ、一戦してからのことだ。毛利の武を信長に見せ付けてからでないと、いかなる交渉も足許を見られるだけよ」
「次の無い戦は自殺と同じですぞ、元春殿」
隆景の落ち着きぶりはかわらない。が、元春の声はだんだん熱を帯びてきた。
「某に采配を預けてもらえるならば負けない戦を一年続けてみせよう。一年織田軍を釘付けにできれば、天下の情勢にも変化が起きよう」
「なるかならぬかわからぬ話に御家を賭け物として放り込もうとの思し召しか」
兄弟の視線が激しく絡み合った、ように見えた。
元春様、隆景様ともに、大層お辛かったことでしょうが、御自分のお言葉を丸きり信じておられたわけではございません。
いや、信じてはおられたのです。それだけの気迫を持ってこの場におられたのです。もし場の大勢がどちらかの意見に傾いた場合、その通りに毛利家の方針を決められたでしょう。
ですが、お二人の思惑は別のところにありました。
第三の”舞い手”の登場、でございます。
続く