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NIGHT PHANTASM

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08.ビッテンフェルトの黒百合(6/6)



それは、まばたきの間に終わるほど一瞬のことだった。
エルザが駆け出し、右手に持つナイフを芝生へ投げ捨てる。速度を落とさないままで、アンナの体に体当たりを食らわせた。
見かけから推測する体重の、何十倍もの力がかかったそれに思わずアンナは後ろのめりになる。そのまま肩を押され、あおむけに倒れた。
のしかかったエルザともみ合いになり、暴れる。
すぐに届く位置に相手がいるというのに、ナイフの刃がまったく届かない。すんでのところで、全てブロックされてしまう。
その小さな体を押しのけることも叶わず、アンナは今まで感じたことのない不思議な気分におそわれた。気が付いた時には、右手に相棒ともいえる得物の姿が――ない。
「さよなら」
唇だけではなく、しっかりと声に乗せて、冷たくエルザが言い放つ。その手には、少女の得物には似合わないアンナのナイフが握られている。
いつのまに、奪われたのか。
ああ、自分が殺めていった人間達は、こんな気分を味わっていたのか。
考える暇もないに等しく、思考より直感でアンナの体、その中でも自由がきく部分だけが一撃を避けるべく動いていた。
斜めに逃げ場所を求めた彼女の頬に、冷たい刃が容赦なく、まるで大地に亀裂を走らせるように縦に深く傷をつけていく。次は避けられない、そう感じた矢先に通りのいい声が響く。
「そこまでにしろ、エルザ!」
「……マスター」
標的の首筋にナイフを当てたまま、止まる。その状況を理解した時、アンナははじめて人間らしく息を切らした。荒い息が、胸の苦しみが、勝負の勝敗を告げる。
「ティエ、これ以上続けても無意味だろう? 恐れ入ったよ、エルザには手加減しなくていいと伝えていたのに。こんなにもつとは」
「……気分が悪いわ。アンナが死んだらどうするつもりだったの?」
「番犬がその程度で死ぬようでは、ナハティガルを牛耳っている吸血鬼を相手にできない。それだけだ」
「あなた……」
娘を目の前で辱められた親のように、ティエは苛立ちをあらわにする。震える低い声が、痛いほどに握った拳が、怒りの爆発を抑えていた。
だが、そうしていても仕方がない。倒れたまま動かないアンナの元に駆け寄った時には、すでにルイーゼが彼女のそばに座っていた。
「姉さん」
「アンナ、喋るな。痛かったろう? 顔の傷は、止血だけで済めばいいが……」
「見えたの……エルザの向こうに、見えた……」
「見えた……?」
「あの子はもう、この」
「アンナ!」
言葉途中に、アンナは意識を手放した。大量の血を失い、蒼白になった肌にルイーゼは万が一の危険性を考えたが、抱き起こしてみるとわずかに反応があった。
致命傷ではないが、完治するまではしばらくの療養が必要になりそうだった。そっと手を握ると、弱弱しく握り返してくれる。
そんな二人の光景を見ていたティエは、何も言わずただ立ち尽くしていた。
「マスター」
ルイーゼが、気配を察してか短く言った。ティエの立つ位置からは彼女の表情はうかがえない。ただ、アッシュグレーの長い髪が悲しげに夜風になびいていた。
「……帰りましょう。ジルベールも待ってるわ。アンナの処置をしてから、すぐに」
「はい」
「ティエ」
図々しくも会話に割り込んできたのは、他の誰でもないレンフィールドだった。
「何?」
「すまない、少々遊びが過ぎた。予定を固めたら、すぐにエルザを使者に向かわせる。……帰りは、大丈夫か? ある程度なら手配できるが」
「いいわ。馬鹿にしないで、私にだってそれくらいの結界暗示はできる。私をまだ子どもだと思ってるの?」
「……かもしれない。晩のうちにチェコを出たほうがいい。君だって、君の娘達だって、ドイツの方が隠れ場所を探しやすいだろうから」
言葉に、ティエは無言で頷いた。


「……レンフィールド様」
ナイフの血を拭い終わり、再びバイオリンケースを手にしたエルザが、残された二人だけの空間でマスターの名を呼んだ。
「エルザ、傷の消毒も忘れるなよ」
「はい。あの二人も……いない人間、なんですね」
「まあ、な……」
言葉を濁し、レンフィールドが視線をそらした先に広がるのは果てのない夜空だった。世界の果てならば辿り着けるが、空の果てにはおそらく着けまい。
エルザ、いや、ベアトリーチェ=ビッテンフェルトの墓には、何も入っていないし埋まってもいない。ただ、墓石だけがそこに鎮座しているだけだ。
それでも墓に名を刻まれた人間は死んだことになる。
不思議なものだ、とレンフィールドは常々思っていた。それならば、生きている人間と死んでしまった人間との定義は、どこに示されているのだろう。
少女はここにいる。
だが、死んでいる。生きているのだと、そのことを証明してくれる存在は少女にとってレンフィールドしかいない。
以前、エルザに彼は『自分の墓に、行ってみるか?』と提案したことがあった。
深い意味もなく、ただ少しの興味があっただけだ。墓を壊せば、その人間は再び『生きている』と認識されるのだろうか。そんなことを考えながら。
だが、提案を聞いて間髪もいれずに少女は首を横に振った。墓を見てしまえば、自分は本当に亡霊となってしまい、生きる力をなくしてしまうと、そう言って。
何のために、生きればいいのかわからなくなると繋げたあとは、ただ沈黙していた。
「……お前にとっての墓があるのなら、それは」
「レンフィールド様……?」
「私、という存在なのかもしれないな……ファンタズムと呼ばれる存在が帰る家であり、還る墓であり……」
むなしさだけが、残留していた。


作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴