NIGHT PHANTASM
08.ビッテンフェルトの黒百合(3/6)
「馬鹿なこと言わないで!」
立ち上がり、表情を歪ませながらティエは勢いよく机を叩いた。そんなことがあってたまるものか。こちらは生きるか死ぬかの緊張にはりつめていたというのに、いつ二人を失うか、いつ二人が壊れてしまうかずっと不安を抱きながら夜を過ごしていたというのに。
しかし、これで少なくともあの嵐の夜、そして祈りの家を訪れた吸血鬼を殺したことでの恨みをかっているわけではないということは明らかになった。
「ティエ、座れ」
「……」
「座るんだ、話はこれからが本番なのだから」
「まだ何か?」
威圧感のある声で制され、しぶしぶ椅子を引き寄せ再び腰かけるティエ。幼い頃も思ったが、レンフィールドの表情はまったく読めない。
何も考えていないように見えて、考えている。逆もまたそうだ。
「つまり、ナハティガルが崩れるのは時間の問題だ。放っておけば別の形でまた組みあがる可能性もあるが、一つの組織を保っている今だからこそできることがある」
「どういうこと?」
「内部の混乱に乗じて、ナハティガルを根底から破壊する」
迷いのない、言葉だった。
ずっとそれを描いて、機を待ちひそんでいたのだろう。しかし、ナハティガルという組織はネットワークこそ盛んではないが世界中に根を伸ばしているものだ。
それを枯らそうというが、そう簡単にいくとは思えない。一点を潰しても、残りがレンフィールドの言葉通り別の形で組みあがっていく。
返事に迷っていたティエの様子を見て、レンフィールドは察したように言葉を続けた。
「なに、一番下まで辿らなくていい。ただ、ヨーロッパにおけるナハティガルという裏組織を壊せればそれでいい。それも、中心のイギリスから……東欧までは届かなくてもいい。あっちは、独自の考えで動いている。ロシアやアメリカ、アジア一帯と一緒だ。吸血鬼が跋扈し好き放題やっている場所だけを壊せば、組織を再生するほどの優秀かつ盲目的な人材は集まるまい。上を崩せれば、統率を失ったハンターが食うに困るだけだ。……それくらいの残りかすなら、国外に逃げずとも相手できるだろう? 君は強い。それに、優秀な娘が二人もいれば……たやすいはず」
「何をしろって言うの?」
言ったのはティエではなかった。
待たされるのを嫌い、焦れに耐えられなくなったアンナが口を開いたのだ。不機嫌そうに、答えを急く。レンフィールドほどの吸血鬼をまっすぐ見つめられる人間は、アンナくらいのものだろう。怖いもの知らずもここまでくると、大したものである。
「……そういえば、まだ名を聞いてなかったな。ティエ、あの子達の名は?」
「髪の短い子が、アンナ。もう一人がルイーゼ」
「ふむ。アンナ、つまらない仕事じゃない。とびきり楽しい舞台を、近いうちに用意しよう」
「……まわりくどい奴は、嫌い」
余裕を見せ、ゆっくりと笑顔で応対するレンフィールドに、アンナは愛想を尽かしたようだった。ふいと横を向き、目を伏せる。
「ごめんなさいね、レン。つまり、ナハティガルを崩すのに協力してほしいってことでしょう?」
「構わんさ。私とエルザでは、少し力不足でね。それに、腐ってもトップだ……顔が割れすぎている。混乱を呼ぶには、裏から君達に入ってもらうのが一番いい」
「暴れればいいのね、確かにそれはアンナ好みの仕事だわ。標的は?」
「見た奴は誰であれ殺してかまわん。本部の場所と侵入経路は後で詳細を教えるとして……そうだな。吸血鬼と人間の見分けが、そこの二人にはつくのかな?」
「もちろん」
「それはよかった。ああ、人間だってもちろんハンターなのだから手加減なしで構わないよ。血の気が多く今もナハティガルで争っている、代表格数人を抹殺できればそれでいい」
「数人?」
随分少ないな、という驚きを込めて応える。大規模大規模と噂されるからには、何百人出てくることかと思ったが――。
「そう、十人もいない。吸血鬼が標的だ。一箇所に集めるのはいくら君でも危険だ、同じ階に集める。君は知らないだろうが、ここ数年でね……ほとんど、ナハティガルに属していた中でも猪か愚かな豚だった吸血鬼は死んでるんだよ。まあ、当たり前だ。そう仕向けたのだから」
「……あなた……」
「まあ、想像通りだろうね。ビッテンフェルトの黒百合は、よく出来てるだろう? 他にもいくらか用意していたんだが、さすがにこちらも被害なしとはいかなくてね、残ったのは彼女一人だ。だが、ティエ。君の娘達を使えば、可能性はいかようにも広がるだろう」
アルカイックスマイルをはぎ、レンフィールドが心からの微笑みを浮かべた。しかし、それには色濃い黒をした闇が潜んでいる。
つまり、終わりの一撃には確実性が欲しいのだろう。野良になってどうするのかと聞きたかったが、すでに野良であるティエが聞くべきことではなかった。
この数年は、ナハティガルからでた『ごみ』を処分していただけか――抱え続けた不安はなんだったのかと思うと、腹が立つ。
だが、気にするべきはこれからだ。
野良の吸血鬼同様、野良のハンターなどねずみ以下だ。ルイーゼとアンナの実力があれば、息をするように片付けることができる。
対抗組織が消えれば、それほど幸せなこともない。もう、異端者呼ばわりされることもなく、執拗に追われることもない。自由の身になれる。
「……なんとかの黒百合なんて、馬鹿みたい」
怒りがまた戻ってきたのか、アンナが吐き捨てた。
「馬鹿?」
これは面白いとばかりに、訊き返すレンフィールド。頬杖をついて、まばたきするたびに長い睫毛が影となり端正な顔だちをより美しいものにする。
「貴方も、その黒百合とやらも、弱そう。話も、手を貸してくれってそれだけだし……警戒していたのに、損したわ」
「……じゃあ、試してみるか?」
「何を?」
「ちょっと、レン……」
察したティエが制止するが、アンナとレンフィールドとの間にもう入り込む隙間はない。
「君……ティエの大事な娘アンナと、私のエルザ、ビッテンフェルトの黒百合と。どちらが強いか、遊んでみるか?」
作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴