NIGHT PHANTASM
04.追う者、追われる者(前編)(5/5)
「外したか……」
リボルバーの残弾を確認しながら、ルイーゼは惜しそうに呟いた。
やはり、飛び道具は自分には向いていない。人にも当たらないというのに、その人間が持つ携帯電話にピンポイントで当てるなどといった芸当は考えられない。
改めて、妹の才を実感せざるをえなかった。
逃げた男は、明らかに動揺していた。先ほど聞こえた銃声は、宣言通り携帯電話を撃ちぬいてみせたのだろう。
アンナの本質は、遠距離をもって戦うことでその全貌をうかがうことができる。スナイパーライフルを使わずともこれだ、姉であるルイーゼも肝が冷える思いを隠せない。
追いかけると、すでに男は姿を消していた。だが、逃げる方向も計算通りだ。
増援、いや、救援を呼ぶために男は安全圏である広場を目指すだろう。だが、考えているうちに選択肢は広がる。
付近の家に無理矢理たてこもり、そこで電話をかければいい。一分もかからないだろう。だが、大きな失策がそこにある。
――番犬が噛み付くのは、ハンターだけとは限らない。
そう遠くない銃声を聞いて、アンナは計算された通りのルートを移動しはじめた。
硝煙の匂いが体に染み付くというのも、悪くないものだ。一発程度ではそうもいかないが、いつかはそんな狩りにも巡りあいたい。
今回のスナイプに必要だったのは、距離や角度といった計算ではない。相手の心理を読む力だ。
追い詰められた人間は、訓練を受けていても少なからず隙が生じる。それを察すること、読み当てることが重要なのだ。
「……」
獲物が近い。
そう判断したアンナは、リボルバーを路傍に置き、腰に固定した鞘からナイフを引き抜いた。銃などあとで拾えばいい。やはり、締めるにはナイフがよき相棒となる。
走り出す。一秒単位で叩き出される相手と自分の距離、広場で見た姿から大体の身長を割り出す。勢いづいたところに刺突は向いていない。
やはり、首か――いや、それとも。
フリッツは、先ほどよりも濃密で、息も苦しくなるような死の誘う匂いを感じていた。番犬なんかじゃない、あれは死神だ。死神でなければ、亡霊だ。
生きている人間のやることじゃない。生きている人間ができることじゃない。しかも、見てくれはあんな子どもなのに。
拳銃であっても、一発撃てば肩が外れかねないほどの華奢さだ。まるで、現実じみた夢を見ている。いや、夢じみた現実を見ているのか。
狭い道を抜け、光の満ちた場所に出る。右か、左か、どちらへ進めばいい……そう悩んだ一瞬が、フリッツの命運を分けた。
風が吹いた。
そう感じた瞬間、感じる鈍く激しい衝撃。開いた眼は、先ほどの少女の姿を確かにとらえていた。
腹部に肘打ちを食らったかと思うと、顎を蹴り上げられ、口の内部になんともいえぬ鉄の味が広がる。反撃に出ようと動いたフリッツの体は、蜘蛛の巣にとらわれたかのように動かなかった。
「……っ!?」
自分を背から固めている人間がいる。だが、そう大きくはない――そう、目の前の少女ほどだ。
だが、何故ここまで自分はもがいている? その答えが出る前に、左胸に重く確かな刃が深く沈んだ。
「……さよならよ」
後ろから聞こえる、あどけなさの残る声。大型のナイフは狂いなくフリッツの心臓を貫いており、発しようとした言葉をショックでせき止めた。
ゆっくりと、刃が血に濡れて抜けていく。完全に抜ききったかと思うと、アンナは固める手を解いて男の首筋を切り払った。
頚動脈が切断され、その衝撃に血管を流れる血という血が逆流する。無言のまま、男はその場に倒れた。冷たい双眸が、亡骸を見下ろす。
「残りは?」
「まだ、いるだろうね。だが口は割るまい。ジルベールの言っていた場所を襲ってから、考えてみるか」
「……」
沈黙という肯定を返し、アンナは再び男の亡骸を見た。時折思い出したように何度か痙攣を繰り返し、血は絶えず流れ続ける。
同じ場所をいつも狙うのは、味気ないと感じた。いつも同じような死体になる。たまには、筋を切ったり、眼球を潰すといった芸当も必要かもしれない。
「アンナ」
「何?」
「銃はどこにやった?」
「ああ。そっちに置いてきた。……忘れてたわけじゃないわ。これから回収しにいこうと思ってたの。本当よ」
「弾は?」
「聞いた銃声の通り、一発しか撃ってないわ。まだ使うの?」
ナイフをいとおしそうに拭きながら、アンナはうんざりだという顔をした。嫌というわけでもないが、リボルバーで遠距離を狙撃するというおふざけはもうやめたい。
慣れないことをすると、思う以上に消耗する。動いていた方が立ち回りを計算しやすいし、握るナイフもそう望んでいる気がした。
「いや、使わない。ただ、持ち帰らないとジルベールが怒ると思ってね。いいかいアンナ、次はあまり騒ぐなよ。まあ、結局拠点が潰れるって事実は遅かれ早かれ知られるんだが」
「お騒がせ担当のくせに、姉さんってば私ばっかり注意するのね」
「仕方ないだろ。狭い場所じゃあ、こいつが使えないんだから。……あんまり睨まないでくれよ、わかったよ。次からはナイフを使うから」
機嫌を損ねた子どものように恨めしげな目線を向けてくるアンナに謝罪しながら、ルイーゼは手元の相棒を握り直した。
賽はすでに、投げられている。
作品名:NIGHT PHANTASM 作家名:桜沢 小鈴