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ぼくたちに傘はない

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六月に入って、少し雨が多くなってきた頃の事だ。
 高校二年生に進級して、新学期。慣れてきたクラスの中で俺は普通に勉強のような睡眠のようなことをしながら、いつも通りの六時限をクリアーして放課後を迎える。

「相馬!これからカラオケだけどくるよね?」
 そう言って放課後の騒がしい廊下で俺を引きとめたのは、クラスの中心的存在の女子の河原だった。濃い化粧、荒れた肌、消えた眉毛、色の違う髪の毛、派手な装飾品。好きじゃない、好きじゃない。
「あー、いかない」
 俺は髪の毛を触りながら、首をかしげた。ああ、めんどうくさいな
「えー、相馬くんいないと盛り上がらないよお」
 河原といつも行動を共にしている森野が潤んだ瞳で俺を見上げた。彼女は可愛い。肌が白く、目がでかい。子犬のような愛らしさがある。けれど、俺の周りでの評判は悪く、「可愛い顔で男をとっかえひっかえもてあそんでやがる」だそうだ。
「いつから盛り上げ役になったんだよ俺」
「そーまあ、来てよお」
 河原が唇と尖らせる。可愛くない。
「いやでーす。今度な」
 俺は逃げるように彼女たちに背を向けた。それから片手をひらひらさせて「さよーならー」と聞こえるか聞こえないかのボリュームで口ずさんだ。
「ばいばーい!」
 彼女らの返事が聞こえた。ばいばい、そう、ばいばい。これから俺は一人だ。そう思うと肩の荷が下りたような気がして足が軽くなる。誰かと時間を共有しているときに神経を張り詰める糸が解けるのはとても楽だった。俺は足早に食堂に向かって食堂入り口の自動販売機でペットボトルのミルクティを買う。飲みながら、所々で知り合いに声を掛けられたから、俺はそれを全部片手を上げるだけで返事を済ましていた。へらへらふらふらしているのがよっぽど自分らしいと思うからだ。こうやってこれからも何気なく過ごしていく。そう、このままで。
 そのときだった。
 丁度上げた左手を下ろす時、彼女は通り過ぎた。
 まず目に入ったのが、キラリと輝いた銀色のピアス。それから右頬に殴られたような後の赤み。一番印象的だったのが、まっすぐ前を見据えてしっかり歩いていたその瞳。
 俺は一瞬時間が止まったかのように感じて、それから振り返って彼女を見る。凛として、それでいて、崩れ落ちそうな儚さ。
 俺は彼女の後ろ姿を目で追った。各教室のある校舎の廊下をずいずいと歩き去っていく。

「おいっ!」

 俺はなぜ声をかけたのだろうか。衝動に駆られて、爆ぜた思いが胸から喉へとごく自然に溢れだしてきた。
 そう、ごく自然に。それがまるで当たり前のことのように。誰かの言う、運命のように。
 彼女はその声に振り返って俺を捉える。目が合った瞬間、矢で射抜かれたような感触が胸の傍であった。貫かれたのだ。この意志の強い目に。けれど、いまにもひび割れそうな瞳。
 なぜか彼女も俺から目をそらさなかった。その表情は睨むかのような目つきで、でもやっぱり軋んでいる。黒いストレートの髪。前髪は横に流してあって、眉毛は鋭く整えられていた。捲りあげた長袖からのぞく細い腕に付いている拳は強く握りしめられていて、左手首には独特な赤と青とが入り混じったリストバンド。学年ごとに色の違う上履きの色を見る限りでは、一つ下の一年生である。彼女の白い肌に不似合いな赤みを帯びた右頬、よく見れば唇も切れていてやはり殴られた後のようだ。俺と彼女、二人で硬直し合う奇妙な空間が訪れ、やがてハッと我に返ったのは俺だった。
「あ、あの、その――」
 俺は理由もなく声をかけたので、続く言葉がみつからなかった。口ごもる俺を彼女はやっぱり見つめていた。俺は苦し紛れに、目に入った右頬について尋ねた。
「あの、怪我してるのか?」
「殴られました」
 彼女は間髪いれずきっぱりと言った。すう、と空気に染み込む声だ。俺は胸がドキリとした。
「二回殴られました。だから、十回殴り返しました」
 もちろん拳で。そう付け加えて、彼女は滲む唇の血を舌で舐めとった。はたから見たら猟奇的で艶美だけど、俺はそう感じなかった。そう、まるで、果実が潰れて染み出した汁を舐めとるように見えたからだ。
「それなのに、なんで私は怒鳴られるんでしょうか」
 彼女の声が急に澱んだ。俺は胸がざわついた。
 ――なんだろう、なんだろう。なんでだろう。彼女の周りを囲む空気が、とても空想的で現実味のないものに見えた。彼女がこの場所に、いやこの世界にとって特別な存在に見える。他のものと優っているわけでも劣っているわけでもない、ただひたすらに平行に距離の遠い特別に。
 言葉に迷って、彼女の顔をもう一度みた。噛み締めた唇からまた血が滲んでいる。彼女の右頬に雫が伝うのをみた。
 衝動に駆られた。

 その時の俺はそれはもう大馬鹿者だったのかもしれない。今となっては、あの時手を繋がなければよかったのかどうかもわからないけれど。
 俺は彼女の手をむしり取るように掴んで、走った。引っ張る手のひらにぐいと力を入れると、彼女の嗚咽に似た驚く声が聞こえた。
「どこにいくの!」
 わけもわからず走る彼女が叫んだ。
「素敵な場所!」
 俺は叫び返した。
 話が聞きたい。彼女のこと。彼女の持つ全部を。何も出来なくても、きくだけきいてみたい。
 好奇心なのかもしれない。無責任なことだ。彼女が救われる、傷つく、きっとどちらでもよかった。話が聞きたいと思った。彼女の存在について、神秘的なものを感じたから。
 まるで、首のなくなった女神さまのような。

作品名:ぼくたちに傘はない 作家名:らた