怨
赤焼けした入道頭に、見られた者は焼き殺されそうな強い炎を宿した眼。
この水無月の刺すような陽射しすらやわなものだと錯覚させられる。
お声、お姿からして、わが義理の父・甲斐宗運様であるのに相違ないのだが・・・
本当に・・・そうなのであろうか・・・
別人ならどれほど救われるか・・・
阿蘇家の柱石にして不敗の名将。
それほどのお方の申されようなのであろうか・・・
我が夫にして宗運様の嫡子・親英様を誅するのに同意せよ、との仰せは・・・
いや・・・まさに
これが宗運様であったよ・・・
「覚悟を持って返事をせよ」
御口調は激しい。だが我が心に響くのは、ただ冷えびえとした木霊のように、薄い皮膜に包まれた御声のみ。
「そなたの父・黒仁田親定は」
そう。あなた様によって誅された。主家である阿蘇家を見限り、日向の伊東義佑に誼を通じたのが露見して。
その時もあなた様は私に仰せになられた。眉一筋動かすことなく。
覚悟を持って返事せよ、と。
実の父を討つといわれても私にはどうすることもできなかった。実際父は謀反人であったのだし。
ただ呆然と点頭する私に、あなた様はさらに仰せられた。
了承するなら異存なき旨を起請文にして神に誓え、と。
実の父が義父に殺されようとしている義理の娘に向かって。
しかも
此度の誅殺騒ぎまでに、宗運様は三人の肉親を誅しておいでだ。次男親正殿、三男宣成殿、四男直武殿。どなたも例外なく伊東に通じたことにより討たれたのだ。いや、実のところ謀反が事実であったかどうか定かではない。
宗運様は謀反の疑いをかけられたのが己が子達であったことを重視されたのだ。
些かの迷いも持たれず、宗運様はお子達を斬り捨てられた。
阿蘇家の柱石にして不敗の名将、の名を汚す者として。
親英様は宗運様の過酷な措置に疑義を抱かれ、同じく宗運様を怖れた他の御家来衆と語らい、宗運様排除の企てを実行しようとなさったのだ。
だがそこは"名将”宗運様。張り巡らせた諜報網で容易く陰謀を引っ掛け、首謀者の親英様を炙り出された。
私に何もいえよう筈がない・・・
ただ仰せの如く、とうなだれることしかできはしない。
「よい覚悟である。それでこそ我が娘よ」
微笑しておられる。
微笑だと!?
私の心の負担を慮るお気遣いのおつもりか?
いいや、違う!
宗運様の眼は私など見ておられぬ。
後世の筆により名将よ、忠臣よと称えられる己の虚像を見ておられるに相違ない。
満足しておられるのだ。酔っておられるのだ。己が振る舞いの美しさに!
阿蘇家の柱石にして不敗の名将、の名に恥ぬ苛烈な潔さに!
数多の恨み、肉親の情など踏み砕き、その瓦礫すら己の虚像の肥しになさろうてか!
許せぬ・・・たとえ我が命と引き換えにしても。
私は既に宗運様に対してに二心無き旨を神に誓った身。これに背けばどれほどの神罰が身に降りかかろうか。
いいや、構わぬ。たとえ地獄に身を窶すことになろうが。
宗運様の死に様は私が決めてさしあげましょうぞ。
そう
我が娘、春菜
あなた様にとっては愛しい孫娘。
あなた様はこの世で一番愛しい春菜に命を奪われるのです。
そう、そう決めました。
毒を盛られ、血反吐を溢れさせ、春菜に冷たい目で見下ろされながら絶命するのです!
はやく・・・その時が・・・・はやく!
「まだ申したいことがあるのか」
「いいえ、なにも」
「女ながらもそなたの忠義、嘉されるものであるぞ」
「ありがたき幸せにございます・・・」
「して、春菜は息災かの」
「お蔭様をもちまして。お忙しいせいでお爺様に会えぬのが寂しい、と日々嘆いておりまする」
「そうかそうか」
なんという緩んだお顔・・・・・
この優しい気持ちを我が父や夫らにもほんの僅かでもお与えくだされていたならば・・・
この嘘はせめてもの慈悲よ。
この嘘に甘く浸って地獄へいきなさるがよい・・・・。
後日、私も彼の地でお会いすることとなりましょうて。
天正十三年七月三日、甲斐宗運は急死した。
表向きは病死とされている。