「山」 にまつわる小品集 その参
「親父、炭鉱で働いとったんか、全く知らなんだ」
「無口で自分のことは語らんお人やったからなぁ。思い出すわぁ、初めて逢うた時のこと」
ワタシは新町の置屋の若い子らに、三味線・小唄なんかを教えてました。時々ワタシにも指名が入ることがあってな。
堺の製鉄所ゆうたら三菱の大財閥系。
そこのお人のお供みたいにして、鉄工所を興したばかりのあの人が来てはりました。皆帰らはった後にひとり座敷に戻って来はってな。
「静香さん」
静香ゆうのはワタシの源氏名。
「静香さん、実は教えてもらいたいことがあって残ってもろたんです。僕は福島の炭鉱で大きくなったんですが、母は大阪の新町にいてると聞いとります。名は確か春名。静香さんはお顔が広くていらっしゃると聞きました。母のこと、何か聞かれたことありませんか、50前後やと思います」
権蔵さんの思いつめたような眼差しに惹かれて、1週間後にまた来てもらう約束をしました。ワタシも商売ですからな。
「春名さんな、20年ほど前に肺の病で亡くならはったそうです。旦那はんは夢多きお人やったそうで、『今に大金持ちになってゆっくり養生さしたる、待っとれよ』ゆうて、小さい息子さん連れて旅に出てはったらしい。時々まとまったお金が送られてたそうや」
とゆうて、本町のお寺さんにあるお墓の場所を教えたんです。
それから時々、ゆうても月に1度ぐらいの間隔で遊びに来はって、お酒はあんまし飲まんと正座したまんま、3曲ほどワタシの声を聞いて帰らはる。
「ワタシの唄聞くだけやったら高いお金使わんでもよろしい、靭(うつぼ)公園に行きまひょ」
何度逢うたやろ、
「シズさん」
シズが本名やろ、それで
「シズさん、僕と苦労を共にしてくれませんか。幸せにする、とはよう言いません。僕はシズさんの支えが欲しんです。お願いします」
戦争で順調やった事業も、B29で焼け野原になってしもた。
家はのうなったけど工場の一部はなんとか残って、ふたりで出直したんや。
それが朝鮮戦争の勃発でやっと息を吹き返した。
その頃の写真やな、これは。
作品名:「山」 にまつわる小品集 その参 作家名:健忘真実