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アリス イン マッスルランド - プロローグ

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白いウサギが唄う……

君が生きるこの現世が前世の君の善行によって送ってもらえた楽園だと考えたことはないのだろう?きっと君は来世で楽園に生を受けても、そこを楽園だとは思わないに違いない。そうそれは、君だけじゃない、僕だってそうだ、誰だってそうだ。そもそも人間が人間である限り、その生きる場が楽園に変わったところで、そこを地獄に変えてしまうだろう。場が提供するありがたみなんて日々の生活の中ですぐに慣れてしまうし、それを当然のこととして受け止めるようになって、そんなことはそっちのけで自らの苦悩ばかりを気にかけ、自らの不幸に泣き濡れるのだろう。僕らは決して楽園を描くことが出来ない。だから……


三月ウサギがサカリのついた獣のように唄う……

神がそれを許すのならば許した分だけの罪を犯そう。決して許させはしない。地獄が楽園よりも地獄であることはないのだから。永遠に望みが叶えられ続ける楽園で望みを持ち続けなければならない絶望は叶えられない希望を持つよりも苦しいのだから。だから僕らは生きていく限り罪を犯かし続ける。楽園へ辿りつくことが地獄だと無意識が知っている。楽園への切符は受け取る前に破いてしまうように出来ている。僕らは決して楽園へは辿りつけない。だから……



帽子屋が気狂い詩人のように唄う……

仕事に追われて空白だらけの一日を諦めるために酒を飲もう。忘れてしまおう。酒を飲もう。空白だらけの一日を空白で埋めつくそう。全てが空白になったなら、それを空白だなんて誰も思わない。だけれども僕らは空白で埋め尽して真っ白を作った刹那に自分という一点の墨を落としてしまうのだ。たとえ空白を那由多まで広げていったって、それは真水に落した一点の墨のように段々と広がっていって、やがて全てを濁らせてしてしまうことだろう。せっかく作った安らぎの地を腐敗臭渦巻く墓場に変えてしまうのだ。楽園を存在させるためには僕らは僕ら自身を消しさらなければならない。僕らは決して楽園には存在出来ない。だから……


だから……アリス……
アリス……いっそ……


アリスは二人分のランチの支度をしていた。今日は姉とピクニックへ行く予定である。裏山の山頂付近に広がる野原でランチを食べるだけ。それだけの時間を過ごす。貧乏人には貧乏人なりの贅沢がある。金持ちが望んでも味わうことが出来ない、感じ方を忘れてしまった喜びというもの、それを知っているのだ。そう、それは例えるなら、幼き日々に感じた世界のキラキラ、それを大人が見方を忘れてしまって見ることが出来ないことに似ている。アリスはそういった類の喜びを感じるのが好きである。

アリスを縛りつける鎖であり、アリスを現世に繋ぎ止める鎖でもある姉。アリスの姉は幼い頃、育ての父親に受けた虐待によって心と頭に負った傷。それのせいで壊れてしまっていた。その父も不幸な事故に遭って今はこの世に居ない。今は姉妹二人、姉の心の傷が残るこの家で、生きているとも死んでいるとも言えない生活を送っている。

「お姉ちゃん!それ、ランチのサンドイッチに使うお肉だから食べちゃダメ」

姉はたった今焼いた肉に手掴みでかぶりつき、その端正な口の周りを脂と肉汁でテラテラに光らせてニヤついている。

「ありすぅ…… あ、ありすぅ…」

姉は肉を食べる時、いつもアリスの名を呼ぶ。その行動に特に意味は無いようだ。しかし、いつものことでは有るのだが、いつもの通りに少しだけ、いつもの通りにほんの少しだけ、気が滅入ってしまう。しかし、気にしていても始まらない。アリスは気持ちを切り替えて早々にピクニックへと出掛けることにする。そう、今日は楽しいピクニック。忙しい金持ち達が楽しみ方を忘れてしまった時間の過ごし方。そんな遊びに出掛けるのだ。アリスはサンドイッチを収めたバスケットを右手に持って、空いた方の左手で姉の手を引いて、勢い良く家を飛び出す。アリスは意識して弾むような足取りで、意識して勢いよく大地を蹴る。自らで楽しさを演出するように、自らが楽しくあるように。

アリスの右手からぶら下がるバスケットからぽたりぽたりと血の色をした肉汁がたれては地面に落ちる。微かな、消えいるような水音を立てて、アリスの楽しげな足音に花を添える。


アリスはこの時、まだ知らない。これから始まる不思議な旅を。
こうしてアリスの不思議な旅が始まる