花椿の咲く
季節はもう、夏。 青と白がきれいな空の下。市場の並ぶ道を、椿は歩いていた。
肩より少し長い、灰がかった紫の髪は後ろでひとつにまとめて、眼帯で隠れていない左目は、市場の店々の品物を追っている。
椿は両腕でなければ持てない重さ・大きさの紙袋を抱えながら、今日の料理担当である姫咲からのおつかいを遂行中だった。
椿、梨佐、姫咲、倭、緋桜の5人。理由あって、そのメンバーで旅をしている。年齢は十六から十八歳と近いものばかりだったが、梨佐以外は全員男、という偏りもあった。姫咲の名前と、緋桜の外見に騙されることも多いが、完全に男女比は四対一。
梨佐はいつも、肩身の狭い思いをしている・・・色んな意味で。
余計な思考を中断させた椿は、八百屋の前で立ち止まった。なんとか片手で紙袋を支えながら、買い物メモを開いた。
(あとはパプリカ、……たまねぎ、とレタス。……ピーマンは買っちゃいけないんだな)
ピーマンには斜線が二本引かれている。他の文字とは筆跡が異なるところを見れば、緋桜がいたずらでもしたのだろう。
ピーマンは姫咲が敵視する野菜故に、彼の当番の日は決してリストに入らない。当のピーマンを手にしながら、少し笑ってしまう。
「お、兄ちゃん、ピーマンかい?」
八百屋の親父が、気前のよさそうな声と表情で、はつらつと話しかけてきた。
「いや、ピーマンは買えないんだ」
買うと、怒られはしないがきっと睨まれる。姫咲は恨みが深いタイプだから、2日3日は文句をさりげなく言われ続けるだろう。絶対に避けたい。
「パプリカとたまねぎと、レタスもらえますか」
「おうよ、兄ちゃん。まいどあり!」
「あ、と、りんごも」
真っ赤なりんごか、目に入った。梨佐と緋桜の好物なのだ。デザートがあると、倭も喜ぶ。無駄な買い物をして、と姫咲にはちょっとだけ、怒られるかもしれないが。
「まいど! じゃあおまけにりんごもうひとつ付けてやるよ!」
「ありがとう」
ああ、ふたつあれば十分だ。喧嘩にはならないだろう。よかった。
「すいません、上に乗せてくれませんか。抱えなおすと危ないと思うので」
「ああ、いいとも。こんなに買い込んで、孝行息子だな」
気のいい親父に、椿は微笑み返してその場を去った。ゆっくりと歩き始めながら、彼の顔が見えなくなったところで、表情から力を抜く。
(……孝行息子)
はたから見れば、そう見えるのかもしれない。母親につかいを頼まれた息子のように。
(―――――……)
椿は、澄んだ空を立ち止まらずに見上げた
家族を亡くした日も、そういえばこんな晴れた日だった気がする。それと同時に帰る場所をなくしたんだなと、久しぶりに考えた。
たとえどこにいても、心が休まるときなどあれ以来なかった。生きていく方法を探すのに精一杯だった。
でも今は違うんだ。
少し笑って、視線を空から進む先へ戻した、とき。
「いっ、た!!」
「うわっ」
明らかな、前方不注意。誰かとぶつかってしまい――よろけた拍子に、紙袋の中身を少しばらまいてしまった。レタスが傷む。
「椿くん・・・あなたね」
「! 姫咲! なんでここに……って、悪い。先に拾ってくれるか」
突然現れたのは姫咲だった。
「ったく、ちゃんと前見て歩いてくださいよ! 暗ぁい顔で歩いてると思えば何してるんです? ――はい、コレで終わりですよ」
ショートカットの銀髪に、青と黒のオッドアイ。椿と同じ十八歳のわりに小さすぎる身長は百六十で、幼い顔立ちも年相応には見えない。
その手には、椿が落としたりんごを手にしている。
「ありがとう。ちょっと考え事を」
「またですか?しっかりしてください、お父さん」
「おとうさん?」
おかしな響きに首をかしげると、隣を歩く姫咲が楽しそうに笑った。
ふたりの身長は約二十センチ。うしろから見ると、兄妹のようだ。
「さっきみんなと。椿くんはお父さんですよねって」
「なんだそれ」
変な家族計画、だ。
「緋桜くんが母親を譲らないんです。僕はどうでもいいですが、長女で」
「男なのに?」
「倭くんに言ってください。その話を持ち出したのは彼と緋桜くんです」
不愉快さが声ににじみ出ている。かなり気には障っているようだが、そんなつまらないことに腹を立てるタイプではない。
そういう風に、楽しんでいるのだ。彼は。
「梨佐と倭は?」
「倭くんは長男ですって。梨佐さんは普通に次女」
「梨佐はシンデレラみたいだな」
母親役の緋桜は、楽しんでドレスを着るだろう。次女、梨佐のシンデレラをいじめるのは、確実に長女の姫咲だ。思いっきり想像してしまって、ふきだしてしまう。
「何笑ってるんですか。悪趣味ですね」
「いや? よくないか、シンデレラ」
「どうせ僕がいじめるんでしょう、それ。わかってますよ?」
「はは、正解だ」
正解って、と、姫咲が自分で言ったくせに上目遣いに睨んでくる。
「まぁいいですけど」
「姫咲も丸くなったな」
「丸くもなりますよ。まったく」
最初は全員が、仲間だなんて思ってなかった。ただ、自分の目的のために旅に同行して、それを叶えるためだけに一緒に居た。
でも、今は違う。何度も助けられて、助けて、ぶつかった。まだ喧嘩をするときもあるけれど、昔のように相手を完全に否定するなんてことは、もうない。
今は仲間だと、みんなが感じているといい。そう思う。
「……もう何ヶ月ですっけ。これだけ一緒に居れば、多少の情も移りますよ」
「一番姫咲が遅かったなぁ、馴染むの」
「もう忘れましたよ、そんな昔のこと」
軽い口調で言って、はぐらかすように一歩踏み出す。その先には、もう今日の寝床があった。テントを張って、その周りにはキャンプセットがばらばらに置かれている。
「おお!おかえりー」
「おかえりなさい。椿、姫咲さん」
「ただいま、梨佐、緋桜」
拾ってきた薪を中心に、談話をしていたらしい梨佐と緋桜が、こちらに気付いて大きく手を振る。椿はそれに返事だけで答えて、笑った。
心が温かくなるのが、わかる。
本当の家はないけれど。
仲間が居るところが、俺の帰る場所なんだ。
end